ゆとりずむ

東京で働く意識低い系ITコンサル(見習)。金融、時事、節約、会計等々のネタを呟きます。

「ノー会議デー」で働きやすさを大幅改善した話

こんにちは、らくからちゃです。

「一月行く、二月は逃げる、三月は去る」なんて言いますが、あっという間に1月も終わりです。だんだん忍び寄る年度末の足音が近づいて参りました。

ここ最近、有給取得率に関するお上からの締付けが厳しくなったため、人事の人から「年度末までにちゃんと有給使うんやで」というお触れが出ました。残っていた10日分をまとめてスケジュール登録したところ、毎日午後10時まで働く計算となり、果たして休むとは・・・?という哲学的な問いに直面せざるを得なくなった今日このごろです。

まあ新入社員ならばまだしも、サラリーマンも10年も続けていれば上手に休む技術を身につけるのも仕事のうちです。例えば「毎月第2金曜日は定休日」と宣言して、予め全部スケジュールに入れてしまうのも一つの手です。ただ仕事の状況に応じて調整する余地はほしいですし、決め打ちしてしまうと別の日に振り替えようとしたときに予定が埋まっていて結局休めなかったなんて例は枚挙にいとまがありません。

全方位から弾丸のように飛んでくるお仕事をかいくぐって自分の時間を見つけるのは至難の業です。なんか良い手は無いのかなーと考えていた最中に、知り合いの某社CTOが教えてくれた「ノー会議デー」で働きやすさを大幅改善した話が非常に面白かったのでシェアしてみます。

休めないのはなんで?

有給も余ってるし、一日休みをとってリフレッシュするかーと思ったときに、支障になるのってなんでしょうか?前もって決まっている予定ですよね。それがひとりでこなす作業なら、がんばって片付けるか他の人にお願いして代わって貰い、体をあければおやすみが取れます。

厄介なのは、会議や外勤などの関係者の多い予定です。参加者みんなに調整をとって日程を調整するか、不参加を許していただく必要があります。時間も精神も大きく削る作業です。そんな手間をかけるなら別に休まなくてもよいや・・・となることは多数あります。

CTO殿が買収した会社の副社長に任したとき、それはもうワケのわからない会議や打ち合わせが大量にあったそうです。

もちろん必要性の低い会議を極力行わないのが一番大事です。わざわざ顔を合わせなくとも、メールやチャットで済むことであればツールを活用するのがベストです。

一口に会議といっても色んなタイプのものがあります。何か決まった内容や知見を共有する場であったり、ブレストをして新しい方向性を生み出すこともあれば、取捨選択をして方向性を決めるものであることもある。報告書を読めばわかる内容も、細かなすり合わせのために一度膝突き合わせて話したほうが早いケースもあります。

現場が疲弊する中、それらがいちいち必要かどうか確認していくのも、エイヤっと全面禁止するようなカイカクをするには結局手間暇がかかります。そこで比較的お手軽に出来るカイゼンとして始めたのが「ノー会議デー」でした。

ノー会議デーの効果

ルールは簡単。部署単位で「会議や外勤を原則として入れない曜日」を決める。これだけ。打ち合わせの日程調整をするときに、緊急の場合を除いてなるべく避ける曜日を決める。

まずは会議の総量を減らすために、「会議をしない日」を決めて自分の作業に集中できる日を作る。同時に、効率よく仕事を終わらせることができれば、リフレッシュや勉強のために休みやすい仕組みにしようとしたんですね。

全社一斉だと会議室の稼働が偏る。また個々人で決めると部署単位での会議ができなくなる。というわけで部署ごとにノー会議デーの曜日を決める。あくまで無理の無い範囲で「できたらこの日は避ける」を決めて、会議の無い日を作り出していく。言ってしまえばそれだけのことです。f:id:lacucaracha:20200131232311p:plain

効果としては、まず無制限に設定されていた会議が入れられない曜日が出現したことで、曜日を移動するだけでなく、別の方法を採ることにより、会議の回数そのものが目に見えて減ったそうな。

加えて、自分の作業に集中できる日が確保できたことで「いつかやる」に押し込められていた企画が動き出しやすくなったり、事前に確保した時間が奪われることがなくなったため残業時間もかなり圧縮され、期日ギリギリでバタバタしていた事務作業の効率がアップする効果もあったとか。

正論は正しく通そう

不要な会議を減らすことも、休みを取りやすくするのも「正論」です。でも正論を振りかざすだけでは、何も変わりません。必要なのは、正論がきちんと通るための仕組みづくりです。でもこれがまた難しいんですよね。それができないから「正論」は「正論」のまま留まり続ける。

じゃあ正論が現実になるために必要なものは何なのか。それは努力や根性ではなく、観察力と発想力じゃないかなあと思うんですよね。正しいことならば、水が高いところから低いところに流れるように、現実に落とし込まれるはずなんです。そうならないとすれば、途中になにか引っかかるものがあるから、正しく通るように取り除いてやらねばならない。

そんなひとつひとつの積み重ねが、世の中を良くするために必要なんだろうなあと思う、今日このごろです。

ではでは、今日はこのへんで。