こんにちは、らくからちゃです。
東京で働いていて、大阪に出張に行くと驚くのがランチの安さ。そもそも東京では、ちゃんと吟味しないと不味くて食えたもんじゃない店に行き当たるのも珍しくないのですが、大阪ではそうした経験は殆どなくお値段もお手軽価格のことが多い。
とはいえ人手不足・人件費増の波は日本津々浦々まで波及しつつあるようで、最近は「誠に申し訳ございませんが、人件費・原材料費高騰のため誠に勝手ながら、価格を改定させていただきます。」みたいな張り紙を見ることも増えてきました。
もちろん私のような貧乏会社員としては、安い方がありがたいですから、値上げというのは悲しいイベントであるのは事実なんですけど、何も謝るほどのことか?と思うんですよね。
一種の社交辞令として言っているならばさておき、店も客も本気で「値上げ=悪」と思っているなら、日銀の2%の物価水準目標ってなんなのって感じがしません?
値段の決まり方
モノやサービスの値段はどうやって決まるのか?どうやって決めればよいのか?これは経済学が生まれたときからあるテーマですけど、もの凄いざっくりいうと、
- 売り手(供給者)が生産にかかる金額
- 買い手(需要者)が払っても良い金額
の間で決まるわけですよ。売り手の生産コストが上がったのであれば、価格をあげないと成り立たなくなりますけども、それを知ったところで買い手の消費意欲が高まるわけないじゃん。にも関わらず、こうした「値上げのお願い」が罷り通っているのって、売り手・買い手ともに「需給の法則」ではなく「コストマークアップ」的、つまり価格とは原価プラス一定の利益率で決めるものだという前提があるからなんでしょうね。
需給の法則に従うと、同じ原価の商品であっても、それを上回る価値が買い手にあるのであれば値段を高くすればよい。逆にいくらコストがかかるからといって、それを上回る価値が無いのであれば、そんな商売は辞めたほうがいい。
特に人月いくらで商売するシステム業界に身をおいているとウッカリ忘れがちですけど、ちゃんと相手が儲かる商品を提供して、こっちもしっかり儲けりゃ良いんです。
薄利多売は遠くなりにけり
それが本来の商売のあるべきだよね、ということはみんな知っているはず。何故、コストマークアップ的な考え方が幅を効かせているのか。
画一的な商品を大量生産していれば良かった時代においては、利幅は極力下げて、数で稼ごう。稼働率をどんどんあげて、単位あたりの生産コストを下げる。そしてお客さんには良いものをどんどん安く、薄利多売で儲けられればお互いにとってwin-winな関係が築ける。
もちろん今でもそうしたビジネスはあるけど、ニーズが多様化する現代において、薄利多売的な考え方がマッチしない商売ってどんどん増えてきてると思うんですよね。ラーメン一杯とっても、店ごとにぜんぜん違うオリジナルな商品を企画して出していて、どこへ行っても同じものなんてほとんど無い。
21世紀を生きる我々にとって重要なことは、1円でも安く売ってもらうことじゃないんだ。1円でも高く払う価値のある商品を作ってもらうことなんじゃない?
お客さんにとって十分な価値を提供できていると思うなら、原価なんて気にせず、さくっと値上げすればよい。儲かる仕組みができて、ビジネスとして継続でき、新規参入者が増えて、また更により商品が出来るのが理想のサイクルなんじゃないのかなあ。
堂々と値上げできる商売をしよう
そんなことをボヤボヤ考えていたら、昔、フリーでやっているエンジニアが「後輩より安い金額は絶対に提示しない」と言っていたのを思い出しました。
後輩の仕事を奪うのが可哀想だからとか、ガッツリ稼ぎたいからというわけじゃない。長くやっている以上、多少ハードルをあげても、それに見合ったサービスを提供する義務があると思うし、業界全体として儲かる構造ができて新しい参加者が増えれば、回り回って自分にとってもメリットになる。そんなことを言っていたのを聞いて、すごいなーと思った記憶があります。
量を減らしてみたり、割引を辞めたり、新商品に切り替えて徐々に価格に反映させていったり、見えづらい形で、こっそりと値上げする例っていうのも良くみるんですけど、それって「値上げ」ということへの後ろめたさの裏返しですよね。
もし本当に良い商売をしている自信があるのなら堂々と値上げすれば良い。そうした選ばれる商売ができない限り、生き残ることの出来ない時代であることは、胸に留めつつお仕事していきたいなあと思うこの頃です。
ではでは、今日はこのへんで。