ゆとりずむ

東京で働く意識低い系ITコンサル(見習)。金融、時事、節約、会計等々のネタを呟きます。

コロナ禍の中で産まれた君へ

君が我が家にやってきてから5日経った。

「いまどんな気持ちですか?」と、オリンピック選手みたいに聞かれるのに「思ったよりも重たいですね。責任の重さを感じます」なんて答えるのにも慣れてきた。言いたいことは、もっと沢山あるけど、長々と語られても向こうも困るだろう。

いま君は、ミルクをたっぷり飲んで、おむつも替えられて気持ちよさそうに眠っている。次のミルクの時間までまだ時間もあるし、いまの気持ちを残しておきたい。

 

君が、母さんのお腹のなかにいることが分った頃、新型コロナウイルス(君が大きくなる頃には別の名前で呼ばれてるかもしれないけど)の感染拡大への対応で、世の中は大混乱していた。

ハンドソープやマスクなど必要なものも手に入りにくく、感染症予防対策のため病院は厳戒態勢になっていて、病院に行くのも大変だった。

父さんの会社でも、在宅勤務(君は驚くかもしれないけど、それまでは何の用事がなくとも会社に行くのが当たり前だった!)になり、会社に行くには偉い人への事前報告と許可が必要になった。

君がお腹の中にいる間、母さんはずーっと悪阻が止まらなかった。生まれるちょっと前まで、毎日のように戻し、時には血まで吐いたことまであった。何度も母さんと一緒に病院に行ったから、この時期に在宅勤務が当たり前の世の中になっていたのは本当に良かった。

それはそれは大変だったけど、それでも母さんはとても幸せそうな顔をしていた。エコー写真を撮る都度、いつも宝物のように眺めていた。そのうちの一枚で、君がピーナッツのような形で写っていたので、産まれてくるまでは「ピーナッツちゃん」って呼ばれてたんだよ。

母さんは、お腹の中にいるときから君にメロメロだった。どんなに悪阻がひどかろうと、お腹が大きくなって動きづらくなろうとも、いつも愛おしそうに君のいるお腹をさすり「なーんだ」と君に語りかけていた。

妊娠初期に少し出血があったときは大慌てで病院に駆け込み、妊娠後期に入って子宮頸管が短いといわれてからは一歩も家から出ない生活に耐えた。その頃、母さんにとって君は生活の全部だった。

父さんは、仕事をしなきゃならなかったし、引っ越しの準備で大慌てだった。母さんが「動いているよ」と言ってお腹を触らせてくれたときも、あんまり実感がわかない中で、母さんや周囲の人の言うことに従いながら、君がやってくる準備を進めていた。

 

君の出産予定日は1月16日だった。先生からは「もういつ産まれてもおかしくないですね」と言われていたけれど、母さんはなるべく君がお腹の中で大きくなって欲しかったから、年明けまでありとあらゆる楽しみも捨てて、一切安静にして過ごした。

そして年も明けたので、毎年恒例の初日の出を今年は車の中から見に行き、近所の殆ど人の居ない神社で安産祈願の初詣を済ませてちょっと一休みしていた。久々に落ち着いてふたりで過ごしたあと、その日の夕方6時位、急に破水して君が産まれそうになったため、急いで車で病院へ行き、母さんはそのまま入院することになった。その日の夜、二人で食べようとしていたお正月のご馳走は残したままね。

母さんは、全ての準備を整えていたから、何の問題もなくスムーズに病室に吸い込まれていった。父さんは、できれば母さんのずっと側にいてあげたかった。でもコロナ対策もあって、病院のロビーで待っているしか無かった。

しばらくたって「そろそろ産まれそうですよ」と助産師さんが教えに来てくれた。他に誰も居ない深夜の病院の、母さんの居る分娩室の前で待っていた。

そして君は1月2日の午前3時30分頃に産まれた。

君に最初に逢えたのは、諸々の処置が終わった4時頃のことだった。最初に君に会ったときに感じたのは「大きいなあ」ということ。君は、3600グラムもあって、他の赤ちゃんより体も声もずっと大きかった。

君と一緒に過ごせたのはほんの一瞬だった。

それから先、やっぱりコロナ対策で、君はもとより母さんとも暫くあうことは出来なかった。5日間、母さんから送られてくる君の写真や動画を観て過ごした。

ちょうどその時、うちのライムの木のお花が、君がやってくることを歓迎するかのように満開になっていたんだよ。

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君が産まれたあと、母さんの体はボロボロだった。

産まれる時に裂けて縫った部分はまだ痛むし、右手には麻痺があった。飲んでる薬の関係でおっぱいを与えることは出来なかったから、乳房の張りにも耐える必要があった。

君のミルクやおむつ替えは出来る限り父さんが見て、母さんは出来る限りお休みをすることにしたんだ。

それが出来たのは、たくさんの人に助けて貰ったからだ。

会社の人には、半年間会社をお休みして君と一緒に過ごせるように助けてもらい、病院の人や、市役所の人にも、色んなことを助けて貰った。長い間連絡を取っていなかった沢山の親戚や、父さん母さんの友達からも「お正月産まれとはおめでたい」と、沢山のお祝いの言葉を貰った。

「子はかすがい」なんて言葉があるけど、君が産まれたことで、父さんと母さんだけでなく、世の中の沢山の人と繋がりが深まった。沢山の人が、君の幸せを願い、助けてくれた。

君が産まれてくるまで、父さんと母さんは色んな制度や仕組みのお世話になってきた。そうした制度や仕組みは、過去何十年、何百年、人類が産まれたその日から、次の世代へと受け継がれ、作り上げられてきたものなんだ。

その歩みは、こんな世の中でも止まらなかった。

君のこれからの人生は、平坦なものばかりではないだろう。これから君が生きる世の中が、どんな風になっていくのかは、誰にも予想が出来ない。

でも大丈夫。君は、沢山の人に望まれ、求められ、祝福されて産まれてきた。だから君は、うんと甘えればいいし、頼ればいいし、助けて貰えればいい。そして君は、君のなりたいものになればいい。

家訓なんて大層なものじゃないけど、うちには代々「子供は預かりもの」という考え方があるらしい。父さんの父さん、その兄さんも姉さんも、それぞれ別々の橋から拾ってきたということになっているらしい。(もちろん、父さんの父さんの父さんの冗談だよ!)

大事なことは、君は父さんと母さんが望んでこの家にやってきた。でも君が、我が家にやってきてくれたのは、たまたまの偶然だ。

「親子は他人の始まり」という言葉もあるけれど、君は父さん母さんとは別の人間だ。

父さんも母さんも、 君が自分の力で人生を切り開くことができるようになるその日まで、君のことをしっかりお預かりしようと思う。その後は、父さん母さんのことなんて気にせずに、行きたいところへ行けばいいし、なりたいものになればいい。

父さんも、父さんの父さんもそうして幸せを掴んできた。

父さんが母さんと出会ったのは18歳のときだった。それまでは、きっと誰にも愛されずにつまらない一生を終えるんだろうなあなんて思っていた。それから15年の間に、好きなことを勉強して、やりたい仕事をして、母さんと一緒に住んで、そして君を迎えることが出来た。それは、多くの人に助けてもらえたからだ。

だから君もきっと、自分の人生を多くの人に助けてもらいながら、自分で切り開いていくことが出来る。

君の人生が幸せなものになることは、父さん母さんだけじゃなくて、こんな大変な世の中でも君が健康に産まれてくることを願い、助けてくれた周りみんなの願いだ。

それでは、前途洋々たる君の門出を祝して!

 

父より