ゆとりずむ

東京で働く意識低い系ITコンサル(見習)。金融、時事、節約、会計等々のネタを呟きます。

仮想通貨バブルは『いつ』終わるのか?

大晦日、近所のスーパーへ食材を買いに行ったときに、例年に比べて高級食材の売れ行きがちょっと良かったように感じました。年始より続いた株高の影響が、周回遅れで一般市民の目に届くところまで追いついてくれたのでしょうか?

去年は、何かと景気の良いニュースが多い中でも、ずば抜けていたのが仮想通貨の爆騰ですね。数十倍、数百倍といった単語が飛び交い、億りびと続出中という、俄には信じがたい状況ではありますが、どうやら夢ではないようです。

多くの有識者は『あんなものには何の価値もない』『ただのバブルなのでいつか暴落するわ』といって口を揃えています。でもさあ、そんなことを言われても『そんなもん知っとるわ!!それがいつなのか知りたいんじゃ!!』というのが多くの人の本音でしょ?

バブルとは何か

そもそもの話、バブルってなんだっけ?ってところから振り返ってみたいと思います。色んなひとが、それぞれの言い回しで定義している言葉ですが、まとめると

ある特定の資産について、その価値が過大評価され、実態からかけ離れた値段で取引されている状態

って感じでしょうか?ちょっと例をあげて考えてみましょう。

ある土地を10年間所有できる権利があるとします。土地の所有者は、毎年100万円の地代が受け取れるものと予想されます。さてこの権利の価格は、いくらが適切でしょうか?

途中で借り手が見つからなくなったり、より良い土地が見つかる可能性もありますから、上限価格は1,000万円でしょうな。この金額をベースに、色んなリスクやコストを考慮した上で、最も高い値段を提示した人が、この権利を手に入れることになります。

ただ10年間毎年100万円というのは予想です。ここで『近隣の開発が進んで地代は2倍になるかもしれない』とみんなが予想すれば、上限価格は2,000万円まで上がります。

物の値段というのは、色んな人の未来の予想をもとに決まります。

バブルというのは、過大な予想をして、資産の価格が本来の価値より、ずっと高い価格になる状況です。それゆえに、バブルだったか否かは、崩壊してみるまでわかりません。

先程の例でも、本当に2倍なれば適正価値ですし、確かに開発は進んだけど2倍なんてことはあり得なかったよね〜という結果になれば、あの価額はバブルだったんだ、ということになります。

投資と投機

で、仮想通貨はバブルなの?を考える前に、もうひとつ考えてみたいのが投資と投機という言葉。

投資とは、自らの所有する資本を投下して、より価値のある資産を生み出して収益を得る活動。一方、投機とは、時機を見計らって資産を購入し、それを別の時機に売却して収益を得る活動。

投機は、新たな価値を作り出さずに、売買を行っているだけで収益を得る印象があるため嫌われがちだけど、投機的な取引をする人がいるからこそ、自由なタイミングで売買が出来たり、空売りや先物取り引きなどによって相場を安定させている側面もあります。

投資=善、投機=悪といった単純な括りではなく、やっていることの違いにしか過ぎない。いま仮想通貨にお金をぶっこんでいる人は、投資目的なのか、投機目的なのかを考えれば、圧倒的に後者なんですよね。

バブルの遺したもの

仮想通貨の現状と、過去のバブルと比較してみると、そもそも性質が随分違うよね、という印象があります。

1980年代後半、NTT株の高騰などの影響から、一般庶民の間にも株式投資熱が高まる中、大企業を中心に銀行を頼らず直接市場から資金を調達する動きが広まりました。結果、大量の余剰資金を抱えた銀行は運用先に頭を悩ませることになります。これらの資金は、当時『土地神話』に支えられて価額が上がり続けた土地へと向かいます。

多額の土地の含み益を得た企業や個人は、ますます消費を拡大させ、あらゆる物への需要が拡大します。需要に応えるべく、多額の設備投資が行われ、人手もいくらでも必要となる状況となりました。

一方で、庶民がマイホームを持つことはどんどん困難になり、既に土地を持っていた人と持っていなかった人との間の格差は拡大していきます。また将来のビジョンの乏しい投資や、過剰な消費が将来への負担を増やしていくことになります。

 そうした状況に歯止めをかけるべく、銀行の土地関連の取り引きへの融資を規制したり、中央銀行が銀行に貸し出す金利(公定歩合)を6%(!!)まで引き上げたりといった施策がとられます。

その結果、地価の大幅な下落→貸出の不良債権化→銀行の貸し渋り・新規融資の停止→需要の縮小→地価の大幅な下落・・・のスパイラルに陥り、日本経済は長期の停滞へと向かうことになります。

結局、多くの人が『価値がある』と信じて投資したものは、実際にはそんな価値はなく、過剰な雇用・設備・負債が遺されることとなりました。

物語なき宴の終わり方

古くはチューリップ・バブル、南海泡沫事件から始まり、ここ最近ではマネックスショック、原油バブル、リーマンショックなんかが記憶に新しいところですけども。現代的なバブルの根源には『◯◯の値段は☓☓という理由で上がる』という物語があり、その物語が崩れれば崩壊する。

でも仮想通貨って、そうした『物語』は殆ど聞かないんですよね。

周囲を見渡す限り、これはスゲェ技術革新で世界を変えるぜ!!って本気で思って買っているひとより、本来の価値との乖離云々以前にそこに価値が存在するとは最初から思っていない人のほうがずっと多いんだよなあ。

それ自体が何も生み出さないという点においていえば、貴金属に近いところもあるけど、大きく違うのは保有するための直接的なコストが掛からないところなんですよね。

これといった理由もなく保有しているから、これといって無に帰す価値もない。ここまで何度も上げ下げを繰返してきたけど、株式みたいに倒産して権利そのものが消滅することも無い。マウントゴックス事件みたいなのもあったけど、基本的に分散型システムなので、絶賛開発中のどこぞの銀行のシステムよりは安心できるかもしれない。土地や貴金属と違って維持費が係るわけでもないから、下がったら追加で買ってホールドしておく選択肢も取りやすい。

また実物とのリンクが全く無いのであれば、仮想通貨の価格は純粋に交換比率でしか無い。実物経済とリンクする現実通貨ならば、購買力によって為替レートは決まりますけど、対仮想通貨はみんながそのレートで交換することに決めた、というだけでしかない。強いて言えば、マイニングコストが基準になるわけですけど、そんなもん紙幣の印刷費みたいなもんですしね。

円やドルと異なり、政治や経済システムから受ける影響もないため、このままうまくいけば金やプラチナの位置に代わる何かになるのかなーって感じもします。また見方を変えれば、仮想通貨が高騰しているのではなく現実通貨が投げ売られているとも言える状況です。

もし仮想通貨の価値が大幅に下落するとすれば、仮想通貨よりずっといい投資案件が出て来ることか、量子コンピューターでマイニングが秒速で終わるようになる頃なんですかねえ。

まあ人類が滅亡するまでには、仮想通貨の価値もなくなるんじゃないでしょうか。