こんにちは、らくからちゃです。
育児休業をいただいて、ずっと家で赤児にミルクを与える生活をしております。
外から病気を持ち込んでしまったら、坊やの面倒を見られるひとがいなくなり、大変なことになるので、毎日自宅に引きこもってミルクを与えながらテレビを見ては、お外は大変ですなあと怯える日々です。そのため世の中の空気感が良く分っておりません。
緊急事態宣言が発令され、色々と世の中にも変化があるようですが、中でも飲食店は大変そうですね。保障をするとはいえ、20時には店を閉めろと言われちゃあ、店舗形態によっては実質営業禁止と変わらんでしょう。
必死の思いで開店時間を早めたり、ランチ営業をはじめたりしたものの全然客が入らない。なんて話を聞くと、こちらまで悲しくなります。で、そういったお店をみて胸を痛めたのか、最近こんなことを言う人が増えたような気がします。
会話は飛沫感染のリスクも上がるから、みんなで集まって行う会食は控えるようにと政府も言っとりますが、じゃあ逆に「ひとりで黙食ならセーフ」ってことになったんでしたっけ?
会食のリスクvs黙食のリスク
第一波の屋形船の頃から、集まって行う会食は感染を広げるリスクが高いと言われてきました。じゃあ、ひとりで黙って食ってるのであれば、安全なんでしょうか。
会話がどれくらい感染リスクを増大させるかについては、富岳でのシミュレーション結果にこんなデータがございます。
曰く、1分間しゃべりっぱなしの状態だと、9,000個の飛沫・エアロゾルが発生するようです。
といわれてもピンと来ない人のほうが多いでしょう。比較対象として挙げられている別のデータを観ると、ごほん、ごほんと強い咳2回をした場合の30,000個相当の飛沫・エアロゾルが発生するそうな。
食事中しゃべりっぱなしということや、抑えることもせず咳き込むこともないでしょうけど、単純計算すれば3.3分間の会話=咳2回ってところでしょうか。
『コップ半分の水をどう捉えるか』みたいな話にはなりますが、ぺちゃくちゃ喋りっぱなしの会食に参加すると3分間ごとに咳2回分も飛沫・エアロゾルを浴びてるのと同じとも言えるし、逆にひとりメシをきめても、3分に1回くらいの頻度で咳き込む感染者が近くに居たら会食に参加してたのと同じようなもんとも言えそうです。
また感染拡大という観点からは、飛沫・エアロゾルの発生量だけでなく、どんな相手から伝染るのかについても一考の価値があるでしょう。
みんなで会食する場合でも、一日の大半を一緒に過ごす家族や同僚であれば、広く社会集団を跨いで感染を広げるリスクは少ないでしょう。一方、ひとりで黙食の場合、隣に座った見ず知らずの人とマスクなしで同じ空間で同じ空気を吸うことになる。また客が立ち代わり入れ替わりするような場であれば、それだけ接触人数も増える。
感染を広げるリスクに関しては、感染のしやすさだけでなく誰から・誰へ伝染すのかも重要な点でしょう。職場でマスク無しで飲食をして感染したとしても、閉じたコミュニティの中であればコミュニティ内に封じ込められるのであれば、感染拡大へのリスクは相対的に少ない。
うーん、そうすると家庭や職場にウイルスをテイクアウトして、社会集団を跨いで感染を広げるリスクにはどの程度の差があるんでしょうか。
接触した人が特定できて感染の広がりが捉えやすい会食と比べると、個人で飲食店に行ったため感染を広げる影響は追跡はしづらく、どの程度リスクに差があるのかは分かりづらいのかもしれない。
社会全体に対する感染拡大のインパクトは、会食100に対して、黙食だと50かもしれないし、10かもしれない。もしかしてもしかすると120だったりするのかも。
それこそ富岳にでも計算してもらうとして、いずれにせよ自宅やオフィスで飲食をするのと比べたら、ひとりで黙食であっても、外で食べるほうがリスクは高くない?
食べて応援は不要不急か否か
他に食べる場所のない医療従事者の人や、トラックの運転手の人には何とかしてあげて欲しい。そういう人に向かって石を投げるようなことは絶対にあっちゃいけない。でも一方で、自宅やオフィスで食事を取れるだろうひとにまで「食べて応援」と不要不急の外食を促すような声もチラホラ見る。例えばこういうのね。
黙ってさえいれば、閉鎖的な空間で見ず知らずの他人とマスクなしで一緒に居たとしても感染リスクが極めて低いのだとすれば、飛行機が緊急着陸したり、入試が失格になったりすることもなかったでしょう。
その是非はさておき、今の所の見解としては「やめとけ」というところでしょう。
最近、マスクの素材による効果の差がクローズアップされましたが、吐き出し飛沫は不織布では80%カットなのにウレタンだと50%、吸い込み飛沫も不織布では70%カットなのにウレタンだと40〜30%カット。効果は3割から6割りは低い。
でも当然、ノーマスクだと0%ですよね。
いまや政治家が会食したといったニュースが流れたり、コロナ感染体験記みたいなブログやSNSの投稿に会食したといった内容が含まれていたら、まるでバスティーユ襲撃後の首を掲げたパレードのような光景が見られるけど、黙食だったらセーフなん?
仮に世間様が許してくれたとしても「黙食なら大丈夫だと思うから、ちょっと飯食いに行ってくるわ!」といって、世の奥様方は許してくれるでしょうか。
意識の差の裏側
都知事や政府のお偉いさんからは、20代・30代の感染者数が多いのは気合いが足らんのとちゃうかといったお叱りの声を良く耳にします。
それだけリスクのある現場でしっかり働いてくれている人たちが多いってこともあるでしょうし、一概にそんな風に言うのはいくらなんでもひどくね?とは思うのですが、「若い人は重症化する可能性が低いと高をくくっている」かどうかはさておき「感染してしまったときに周囲に与える影響の大きさ」に関しては、ズレがあっても致し方ないような気がします。
自ら命を絶ってしまった悲しい事件もありましたが「自分が感染したらマズいことになる」というプレッシャーについては、まだ家庭を持っている比率の低い20代・30代とそれ以外ではある程度の差はあるでしょう。
そうした立場の差って、個々人だけでなく社会全体の感染予防に対する温度差にもつながると思うんですよね。何がなんでも絶対に感染しまいと心がけているのであれば、「ひとりで黙食ならセーフでしょ」と思うことは、まあ少ないでしょう。
そう考えるのは、多少感染のリスクがあっても働かなければどうにもならないひとや、彼らの姿を見て「ワクチンが普及するまでギリギリ最低限の社会機能が維持できる水準に感染は抑えつつ経済を回していこう」ひとたちでしょう。
一方で、崩壊すれすれの医療や介護の現場で、プライベートのすべてを後回しにしても対応している人たちからすれば、「ワクチンが感染を十分に抑え込めるのがいつになるのかの見通しも立っていない以上、ワクチンなしでも抑制出来るように徹底した対策をしていかないと持たない」と考える人のほうが多いでしょう。
前者をウィズ・コロナ派、後者をゼロ・コロナ派とでも呼びましょうか。
どちらが正しいのか、GDPの額や死者数みたいな数的指標で決められたら話は早いのでしょうけど、そう簡単に結論がでる問題ではないでしょう。
誰がための黙食なのか
個人的な話をすると、子供には会社の同僚や親戚たちにも会ってもらって、沢山の人に可愛がって欲しい気持ちはやまやまなのですが、こんなご時世なので万一のことがあってはいけないからと、お互いに遠慮させて貰っている状況です。
今はまだ乳児で外を連れ歩くこともないため関係ありませんが、市の子供施設も利用に制限が掛かっている状態で、これが長引くと坊やのお友達を作ったり、心身の発育に悪影響になったりせんのやろうかと心配な気持ちもあります。
一方で、こんな状況下でも働いてくれている人や、そんな彼らに温かい食事を提供してくれる人の必要性もわかるし、飯くらい好きに食わせろという人の気持ちも十分わかる。
ただ必要以上に行動を煽るならば、もうちょいその行動が「どれくらい大丈夫なのか」に関するデータやその条件はもう少し見てみたいなあと思うんですね。
「不要不急の外出はNG」「会食・8時以降の飲食はだめ」みたいな、内容は明白でも、根拠や目指すところがフンワリした状態の方針を掲げた政府にもしっかりして欲しいところですけど、感染拡大への影響よりも「こんな状況で楽しく会食するのは不謹慎だけど個人の黙食は違う」「もともと飲み会は嫌いだったから黙食推進は大賛成」みたいな空気感で押していこうとするひとを見てしまうと、なんだかなあと思ってしまう次第であります。
ではでは、今日はこのへんで。