ゆとりずむ

東京で働く意識低い系ITコンサル(見習)。金融、時事、節約、会計等々のネタを呟きます。

プルタブ集めを巡る物語が絶望的なまでに『駄目な日本人のお話』で震え上がる

こんにちは、らくからちゃです。

お家で妻と、のんびり晩御飯を食べながらテレビをつけてみると、中々興味深い番組がありました。

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(引用元:所さん!大変ですよ - NHK)

そういやありましたよね、アルミ缶のプルタブを集めてリサイクルする運動。確か、車椅子かなんかに交換出来るって聞いたことがあったような。一生懸命集めている人もいたような気がします。でもこれ、

リサイクル業者からしたら迷惑以外の何者でもないらしいんです。

それでも減らないのは何故!?というのが今回のお題だそうです。中々面白そうでしょう?

プルタブ集めの目的とは?

 そもそも何で、あんなちっこいものを集めるようになったのか。その背景をたどると1980年台まで遡ります。

当時、自動販売機とともにアルミ缶飲料が急速に普及しはじめました。当時のアルミ缶のプルタブって、今のように本体にひっついているものではなく、簡単に外れるものだったそうです(わたしは現物を見たことはないのですが・・・)。

その結果、あちこちに小さなプルタブがポイ捨てされる結果に。これが大きな社会問題になります。プルタブは、空き缶本体と比べれば小さなものです。でも、子供が踏んづけてしまったり、野生動物が飲み込むと大変危険です。

そこで『プルタブ被害をなくそう!』とはじまったのがプルタブ集めだったんですね。集めてボランティア団体に持ち込み収集し、その後リサイクル工場へ持っていくと、溶かしてお金に換えてもらえる。そのお金を、車椅子などの購入資金に充てるわけです。

  • 地域・・・怪我をする人が減る
  • ボランティア団体・・・資金源になる
  • リサイクル工場・・・原料を調達できる

とみんながハッピーになれる仕組みでした。

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プルタブは外しちゃ駄目な3つの理由

ですが皆さんも御存知の通り、最近の自販機で販売されているアルミ缶飲料のプルタブは、外そうとしない限り外れない仕組みになっています。それでもなお『プルタブ』を集めようとする人がいるんですよね。

もうこれは、誰も得しない状況になっています。

1.そもそも外してしまったら本末転倒

もともと『外れたプルタブ』で怪我をする人が出ない為に行っていたプルタブ集め。それをわざわざ外した結果、うっかり袋からこぼれたものに気が付かずに、それを踏んづけて怪我するひとが出たら、もう全く持って本末転倒です。

2.外す過程で怪我をする可能性がある

プルタブには鋭利な部分が少なく有りません。無理に外そうとすると、怪我をする可能性すらあります。外さなくて良いんです。そのままの姿で収集すればいいんです

3.リサイクル工場も困る

プルタブのような小さなサイズになってしまうと、他の『異物』と選別の手間が増えてしまうそうです。中には『プルタブだけ』を持ってこられることに、難色を示すリサイクル工場もあるんだとか。もはや誰も得をしません

 

アルミ缶リサイクル協会も、ちゃんと明言しています。

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メーカーは、わざわざ外す必要がないように、様々な技術改良のために努力をしてきました。それなのに中には、こんなことを言う人もいるんだとか

 

 

 

 

 

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プルタブがはずれなくて困る

 

 

 

 

 

(ノ∀`)アチャー...

 

 

 

 

 

 

もうね、『どうしてこうなった』と踊り始めずにはいられないような状況です。何故こんなことになったのか?その背景には、学校教育の現場でプルタブ集めが盛んに行われていることの影響も大きそうです。

実録!小学校教諭 プルタブ集めの教育効果について語る

番組中では、今もなお『プルタブ集め』を行っている学校に訪問し、教諭に対する取材の内容まで訪問されていました。『何のためにプルタブ集めを行うのか?』実際の番組中のやりとりの中から引用してみたいと思います。

美化活動という目的を失ったにも関わらず、何故プルタブ集めを行うことになったのか。うかがったのは千葉県の小学校。この学校でプルタブを集め始めたのは2007年。間違いなく缶から取れなくなってからだ。

登校時間になると子どもたちが家から持ってきたプルタブを次々と入れていく。集まったプルタブに、異物が入っていないか、その確認も子どもたちが行う。

子供『みんなの協力があって すごいやりがいがある』

ここまで子どもたちに熱心に取り組ませる目的は一体何なのか?

教諭『やっぱり子どもたちにとっては すごく 心の教育にもなるんじゃないかなと 子どもたち自身が自分で集めて 自分で持って来て それが何か役に立てるという意識が持てているんじゃないかなと』

なるほど、しかしそれなら

記者『缶ごとの方がもう少し早く車椅子に変わるんじゃないか?』

教諭『本当に そこにしかちょびっとしかなかった物が やっぱりみんなが持ってくるとあっという間にいっぱいになる 小さいものですけども みんなが集めると こうなるっていうのは見えるので』

つまり車椅子を効率よく手に入れることより 小さな努力を積み重ねる大切さを学ばせることのほうが大事ということらしい

記者『コツコツ努力を積み重ねましょうとかを教える時に プルタブっていうのはやっぱり良い?』

教諭『そうですね はいそれは確信しています』

※青字は番組内でも強調表示されていた箇所である

番組内では、学校名も教諭名も出ていたけれども、それを『晒す』ことが目的ではないので割愛させて頂きます。またここまで読んできた皆様とは異なり、この教諭がどれだけ背景について理解していたのかについては疑問の余地が残ります。

でも・・・、でも・・・、それを差し引いても

これは駄目なんじゃないのかなあ(´・ω・`)

小学生は仕方ないとしても、学校の先生は、もう少し勉強してから取り組ませるべきなんじゃないだろうか?あとで真実を知ったら、子どもたちや保護者はすごくがっかりするんじゃないだろうか。

そして何より『目的は何なのか?それを達成するための手段として、何をするのがベストか?』を考えない・考えさせない・必要な知識を与えないのは、もっとずっと恐ろしいことのように感じます。

それで得られる『心の教育』とは一体なんなのか?

またプルタブ集めは学校だけにとどまらず、企業にも広がっているのだとか。

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番組中では、衰退する佐渡の土建業者達の取り組みが取り上げられていました

誰もができることからやっていこうと 達成の結果をですね 皆さんで共有することで『またやろう』と(互いに連携する)気持ちが植え付けられるんだと

地域が衰退していく中で何か出来ないかと、勉強会を結成 その時、今はなきメンバーが提案したのがプルタブ集めだった

『これを持っていくことで、今までお付き合いのなかった同じ建設業の人たちと仲良くなれて仕事を貰ったりとか言うすごく良いことがたくさんありました』

 分かる、分かりますよ。今まで接点の少なかった人の中で、新たな目標が生まれ、その中で連携が深まることの価値は。

でもさ、やるべきことって、本当にそれだったんだろうか?わたしはその場に居なかったから、何も言えないけれど、

  • 子供が楽しめるイベントづくり
  • お年寄りの見守り
  • 定期的な防災活動

とかとか、色々と他にもあったんじゃないだろうか。そんなことしてるから衰退していくんじゃないのだろうか?そう思わずにはいられないのは、わたしだけでしょうか?

是非この話を『道徳』の授業で取り上げて欲しい

もう何だか、最初から最後まで陰惨たる気持ちで仕方ない番組でした。わたしは決して『プルタブ集め』が『心の教育』に繋がるとは思えません。ですが『プルタブ集めを巡る物語』は、ぜひ『道徳』の授業で取り上げる価値のある話では無いのか?なと思いましたね。

 

1.あなたはこの番組をみてどうおもいましたか?

2.わたしたちは『プルタブ集め』を行うべきでしょうか?

3.あなたの身の回りで似たような話はありませんか?

4.お友達が『プルタブ集め』をしようといい始めたら、あなたはどうしますか?

 

このことを議論させるだけでも、随分と『心の教育』になるのではないでしょうか。心の教育って、『根性論』で『周囲の人に合わせられる』人を生み出すことでは無いはずです。『論理的』に『周囲の人を動かすことが出来る』人に育てることではないのでしょうか。

『プルタブ集め』にかぎらず、世の中には周囲を巻き込みながら、無意味なことを一生懸命やっているの人はたくさんいます。陰で彼らの悪口を言ったり、馬鹿にしたりすることは簡単です。

そんな場面に出くわしてしまった時に、どのようにより良い方向に持っていくのか。ただ頭ごなしに否定するのではなく、理解と納得を生み出すために何をするべきなのか。そんなことを、一緒に考えていくことが、今求められる『心の教育』なのではないでしょうか。

ではでは、今日はこのへんで。

空き缶つぶし器

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