ゆとりずむ

東京で働く意識低い系ITコンサル(見習)。金融、時事、節約、会計等々のネタを呟きます。

断続もまた力なり

こんにちは、らくからちゃです。

流行り目で、一週間近く仕事を休んでいた結果、お仕事がたまりまくって忙殺なうです(´Д⊂グスン あっちゅう間にスケジュール帳が埋まっていきますなあ(´・ω・`) さて皆さんはスケジュール帳って、どんなものをお使いですか?わたしの場合、A5サイズのシステム手帳を使っています。

中のリフィルが色々入れ替えてカスタマイズ出来るのですが、長期的な予定についてはこういったマンスリータイプのものに書き込みます。

で、毎週金曜日か月曜日に、次の一週間の予定を、こうした週次のタイムスケジュールに落とし込んで使います。

まーこの手帳も、気がつけば学生時代から10年近く使っています。そんな話をすると、『随分、長い間まじめにやっているんだね。』『継続は力ですね。』なんていう風に言われることもあります。なんだか、肯定的に捉えて頂くのは誠に有り難いのですが、たぶん全然違います。

習慣化の力は本当?

巷ではよく、長く物事を続けることには価値があり、続ける力を得るための『習慣化』をどのようにするのか?についてのノウハウをまとめた本が多く出回っています。

  1. ダイエット
  2. 運動
  3. 勉強
  4. 日記
  5. 早起き

などなど、継続して行えば有り難い功徳が得られるといった類の話は、本当に良く耳にします。最近だと、ブログも毎日書くべし!みたいな話も聞きますよね。いかにして『三日坊主』を乗り越えるのか?昔はよく、こんな本を読んで研究したものです。

まあでも最近は、あんまり『継続は力なり』という言葉に縛られすぎるのは、損じゃないのかなと思うんですね。わたしの手帳は、別に毎日きちんとつけられているものではありません。まるっと一週間分の予定が飛んでいたり、ころころと書き方が変わっていたりと、随分といい加減なものです。

昔はそんな自分を、『ちゃんと習慣化出来ないなんてダメなやつだ』と自己否定感に捕らわれていた事もありました。今は逆に開き直って『別にそれはそれで良いじゃん』と思うようになってきました。

確かに、習慣化が出来れば、小さな労力で継続のメリットを得ることが出来ます。しかし、継続することはそんなに善いことなのか?

継続的な読書の習慣は、善いことかもしれませんが、疲れてアタマに何も入ってこないような状態のときでも、ただ『継続できた』という達成感を得るためだけに、紙の上のインクの染みを見つめることに何の意味があるのか?習慣化してしまい、それに縛られて生きるよりも、より自由に良い方法を探る生き方のほうが良いのではないか?そんなことを思うようになったんですね。

断続もまた力なり

『継続は力なり』という言葉を否定するつもりはありません。何もせず踏み出せないでいるよりは、多少マズいやり方であってもきちんとルールを決めて、繰返し行う習慣を身につけられれば、それは大きな価値に繋がります。

しかし『継続できなければ無力なり』ではないと思うんですね。

三日坊主になってしまったらどうしようと前に進めなくなってしまったり、継続できなかった自分を無意味に責めたりすることはナンセンスです。

この手帳の使い方も、長くて3年、短くて半年程度でルールを変えています。しばらくやってみて、なんかしっくり来ないな―と思ったら、使い方は結構コロコロと変えています。また自分でコストを上回るメリットを感じられないときは、他のやり方をする時もよくあります。

どうしても継続のメリットを得たいもの以外については、自分が必要性を感じたときだけ、前にやったやり方を思い出しながらやれば良いと思います。そして、ベストなタイミングでベストなやり方を出来た自分をうんと褒めてやれば良い。

断続もまた力なり

です。

自分は自分の味方でいてあげて 

仕事をしていると、他人から褒められることも叱られることもあります。褒めて伸びるタイプと叱られて伸びるタイプがいる、なんて言いますが、そこは人それぞれでしょう。個人的には、叱られて伸びる人なんて居るのか?と常々疑問には思っていますけどね。

それはさておき、何をやっても成果を出せることが出ずに、辛い気分になるときだってあります。そんなときに、自分で自分を責める必要なんてないんです。

『継続は力なり』だってそうです。上手くいかなかったとしても、それで誰かを損させた訳じゃないん。そうしたときに、ひとこと自分を許してあげるための一言をもっておけば、心がぐっと軽くなります。それが『断続もまた力なり』です。

ブラジルの小説家の言葉だそうですが、ぐっときた一節がありましたので引用します。

傷つくのを恐れることは、
実際に傷つくよりもつらいものだと、
おまえの心に言ってやるがよい。

パウロ・コエーリョ(ブラジルの作詞家・小説家、1947~)

ではでは、今日はこのへんで。