何やらこの手の話題は、定期的に出ては、大した進展を得ないまま消えていっている気がする。
今回もまた、色々な意見が聞けるのかなあと、比較的期待していたのだが、議論の方向は予想外の方向へ。
なんでも、データがおかしいというのだ。もっと、世の中のどす黒いところを暴き出すような議論を期待していた身としては、肩透かしを食らったような気がする。もっとも、『女性の自然に妊娠し易い年齢』なんていうものは、大した意味を持たない数字である。
日本の新生児死亡率は1000人中1人、平均寿命は男性が80.50歳、女性が86.83歳にまで達した。これは全て、我々は『自然』に打ち勝ってきた証である。女性の出産年齢も、それが本人たちの望むものと一致するのであれば、40でも50でも自由に産めるような社会を目指すべきであり、『人間というのは22歳で子供を生むのがもっとも自然だ』などと言うのであれば、是非自由に鹿でも猪でも追い掛け回し、40か50くらいまでにはお墓に入っていただきたい。
大学進学率と未婚率
とはいえ、未だ不老長寿の妙薬が開発されていないのと同様に、現在の科学技術では出産年齢には限界もあるし、高齢での出産は本人にとっても社会にとっても大きな負担となる。悲しいことではあるが、科学技術が追いつくまでは、現実を受け入れざるをえないのが世の理というものである。
しかし、『若い女性に無理ばかり言うな』という人たちのツイートを見ていると、彼ら彼女らの言葉からは、何故だか高卒や短大卒で働く女性の姿はすっぽり抜け落ちているように見受けられる。
(出典:男女共同参画白書(概要版) 平成26年版 | 内閣府男女共同参画局)
時代が平成に変わったころから、女性の大学進学率はほぼ2倍の45.6%まで上昇した。しかし、グラフを見ても『頭打ち感』もあり、全ての女性が大学へ進学するというわけでもない。彼ら彼女らの想像力の中から、自分たちの身の回りに存在しないものはいないものとして抜け落ちてしまったのか、それとも『高卒の子たちは問題ないでしょ』と思っているのかは定かではないが、学歴別の未婚率について調査した結果があったので見ていると、中々面白い結果が浮き上がってきた。
(出典:未婚率の増大要因の分析)
生涯未婚率は、男性においては、学歴が上がるとともに減少する傾向にある。一方、女性については、学歴が上がるとともに増加する傾向にある。大卒者に限ってみると、女性のほうが生涯未婚率が高い。また、地域間格差も大きく、東京では男女ともに未婚率が4%前後違う。これを、4%と見るか1.5倍と見るかは人によって異なるのだろうが、かなり有意な差ではないだろうか。
以前『都市で疲弊し、恋愛すら出来ず若い時間をすり減らす層』が生じているのでは?幼なじみ婚の増加から考える日本の社会構造の変化)なんてことを書いていたが、データから見ても間違いはなかったようだ。
もっとも、彼女たちが、『結婚なんてしない。仕事に生きる!』というのであれば、それはそれで結構なことである。しかし、どうやらそうとも言えなさそうである。下表の『結婚意欲の指標』は、各設問から『結婚願望が強いかどうか』を判断した指標だそうだ。合計の数値を見ると、在学中の学生に聞いた結果も混ざってくるため、学校卒業後何年かたった年齢で調べてみると下記のような結果となった。
(出展:第14回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)- S0005)
これを見る限り、学校卒業後数年の女性について、高卒であれ大卒であれ結婚願望の強さには差が無いように見られる。その為、『大学に行っても、結婚願望は低下することは無いものの、実際には生涯未婚率が上昇する』という不都合な真実が浮かび上がってくる。
大学に行くと子供が産めなくなる?
次に、各学歴別の出産に対する行動に違いも見てみよう。第一子の平均出産年齢は高卒女子で26.1歳、大卒女子で29.5歳となっている。その差は3.4歳と、大学在学期間の4年間とほぼ一致する。
(出典:第14回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)- S0005)
別の調査結果も見てみよう。厚生労働省の調査結果をみると、平均初婚年齢は28.6歳、第一子の平均出産年齢は29.7歳、結婚から第一子出産までの平均年齢は2.19歳となっている。初婚年齢には子供を産んでいない女性も含まれため誤差が出るのかもしれない。そうすると、子供を産みたいひとの平均初婚年齢は27.51歳(29.7-2.19)ということになるのだろうか。
そもそも、死ぬまでひとりの子供も産まない女性の数はどの程度の割合になるのだろう。5年前の調査結果になるが、40歳時点で子供の居ない女性の割合は下記のようになる。一般に、40歳を超えると自然妊娠できる確率が大幅に下る為、同数値を若干下回るものが生涯非出産率と考えても良いだろう。この値は、年々上昇を続け、27%にも達する。
この結果に、『自然妊娠し易い年齢』なるものが影響したかどうかは定かではないが、少なくとも大学進学率の上昇=未婚率の増加・第一子出産年齢の上昇から見ても、『結婚・妊娠をするタイミング』を逃してしまった女性も多数いるのだろう。
もし、子どもたちに『自然妊娠し易い年齢』なんてものを教えるのであれば、『あなたは、あなたの両親たちのように、家庭を築いて子供を持つことはできない可能性も高い』ということも合わせて伝えておいてあげると良いだろう。
変わる社会、変わらない仕組み
人間誰しも、いま生きている時代の変化には気づくことはなかなか難しい。女性の大学進学率の向上、婚姻率の減少、初婚年齢・平均第一子出産年齢の高齢化、そういった環境の変化は、近年急激に進んだ。女性が社会に出て働き始めたのも、そう遠い過去ではない。共働き世帯が片働き世帯を上回ったのは、いまからおおよそ20年前、1995年頃のことである。1980年に至っては、共働き世帯は片働き世帯の半分しか居なかったのだ。
様々な理由が考えられるだろうが、何よりも子育て世代の平均年収が大きく下落していることが要因として大きいだろう(ランドセルと格差社会)。もはや、専業主婦を養いながら、子供の養育費を捻出することは難しい時代なのである。
実に不思議なことだが、『女性の進学率』『共働き世帯の比率』『第一子出産年齢』が上昇しているにも関わらず、児童のいる世帯の平均所得は下がり続けている。ピーク時の1996年は782万円だったのが、2010年には658万円。世帯単位で130万円近くも下落している。
(出典:細る子育て世代の家計)
一昔前では、共働きは『より豊かな生活を送るために』行っていたのかもしれないが、少なくとも現状の経済情勢を見ると『生き延びるために』行っているとみたほうが良い。
しかし、社会の制度や仕組みは、まだこの現状を必ずしも受け入れられているとはいえない。特に、近年問題となっているのが『小1の壁』である。
小学校入学時までは、保育園に子供を預ければ、フルタイムで働きながら子育てをすることも難しくない世の中になってきた。一方、小学校入学後、親が子供のためにしなければならないことは急激に増える。
- 15時までには終わる子供の放課後の対策について
- 宿題や提出物等のうち親が関与する必要のあるものについて
- PTAや各種学校行事への参加について
そんな問題が山のように降りかかってくる。この問題は、専業主婦でも兼業主婦でも関係なく降り掛かってくる。近くに頼りにできる親族がいない場合、まさに『詰んだ』状態にもなり兼ねない。しかも、多大な労力を払っても、親族からは『小さいころぐらい面倒をみてあげれば』と言われ、会社では『子供がいる人はたいへんだよなー』と白い目で見られ、必死で働いても『残業代で稼ぐ』ことも難しい状況になる。
こんな世の中だから、子供を産み育てたいという想いを、不本意ながら諦めてしまう女性も増えていってしまうのだろう。現状を打開するためには、(必ずしも女性側が行う必要は無いが)時短勤務や在宅勤務の体制といった子育て世代が働きやすい社会作りはより一層進めていく必要がある。そして、同時に考えるべきこととして、育児期間中の大学での学び直しという選択肢ももっと増えるべきではないだろうか。
『大学での勉強は、フルタイムの仕事より楽だろう』なんて言うつもりはないが、時間的な自由度については格段に上であることは違いないだろう。専業主婦の大学での再教育については、成功例もあるものの、広がりを見せているとは言えない状況である。
そもそも、我が国においては『学齢期』を過ぎた上での大学入学のケースは多くない。下記は、大学入学者のうち25歳を超えた者の割合(日本は社会人入学生数)を各国で比較したものだが、我が国は圧倒的に低い。確かに、海外の著名経営者の立志伝を読んでいると、『学費を稼ぐために、まず軍隊に入って、その後大学に入学した』なんて話は結構よく出てくる気がするが、『私の履歴書』ではそんな話を読んだ記憶はほとんどない。
(出典:特集2 教育と職業:文部科学省)
子育てと並行しながら高度な教育を受けられるのであれば、副次的な効果として孤立しがちな子育て世代の横のつながりを生じさせ、『孤育て』に陥ることを防ぐ効果もあるだろう。また、自由なタイミングで大学教育を受けられるような選択肢が増えれば、より人生設計を柔軟にすることも出来るだろう。
しかし、現状としてそうした社会にならないのは、高まり続ける学校推薦による合格者の増加といった『入口』の問題(大学入学者選抜の現状)と、学卒採用時に年齢制限を設けるような『出口』の問題の両方が考えられるが、それ以上に大学教育に費用対効果が見合わないと考えられていることが多いのでは無いだろうか。
大学の役割と責任
大学は就職予備校じゃないぞという声もあると思う。しかし、苦しい生活を送っている人が救えないのであれば、それは社会科学の敗北である。
かつて、経済学者アルフレッド・マーシャルは下記のように語ったと言われる。
私がもっとも深く心に期しておりますことは、またそのためにもっとも大きな努力を払いたいと思っておりますことは、すぐれた人々の母でありますケンブリッジで学ぶ人々の間から、ますます多くの人々が、私たちの周りの社会的な苦難を打開するために、私たちの持ちます最良の力の少なくとも一部を喜んで提供し、さらにまた、洗練された高貴な生活に必要な物的手段をすべての人が利用できるようにすることがどこまで可能であるかを見出すために、私たちに出来ますことをなし終えるまでは安んずることをしないと決意して、冷静な頭脳をもって、しかし暖かい心情をもって、学窓を出て行きますように、私の才能は貧しく、力も限られてはおりますが、私にできるかぎりのことをしたいという願いにほかなりません。
彼は、ケンブリッジの学生を、貧民街に連れだして、彼らの困難を、『冷静な頭脳と暖かい心(cool head, but warm heart)』をもって解決することが我々の使命であると説いたと言われている。
マーシャルは、アダム・スミスやマルクスほど、一般に知られた人物ではない。しかし、今もなお経済学を学んだものであれば、一度は目にする『マーシャルのk』を生み出したことでも知られる偉大な経済学者である。そして、その最も大きな功績は、ケインズやピグーといった、社会的な視野を持った弟子たちを育てたことであろう。
もし、この多くの困難を抱えた現状について、有効な提案をすることも、それを実践する人材を育成することも出来ないのであれば、研究機関としても教育機関としても落第であり、文系学部なぞ廃止すべきと言われても致し方無いだろう。若い世代の貴重な時間を預けるのだから、それぐらいの社会貢献は求めてもいいはずだ。
女性の大学進学率の向上は、本来社会の高度化に対応するために必要なはずであり、それは社会の成熟の証でもあるはずだ。それが、『婚期が遅れるだけで、生活が豊かになるわけでもないし、別に大学なんて行かないほうが良くね?』と言われてしまうのであれば、大学の果たすべき責任が果たせなかった結果である。
『女は大学に行くなって話?』なんていう風に言われないためにも、大学の役割と責任については、いまいちどマーシャルの言葉から学び直すべきであろう。
ではでは、今日はこのへんで。