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ゆとりずむ

東京で働く意識低い系ITコンサル(見習)。金融、時事、節約、会計等々のネタを呟きます。

『住み分け』する以外に共存する道はないのだろうか


予めお断りしておくと、本記事は私個人の単なる『感想』であり、他人に意見を問うものでも、こう考えるべきではないのかと主張するものでもないし、ましてや『その考えは間違っている』と非難するものでもない。

何の因果があるのかはわからないが、たまに全く別々の状況から、よく似た2つの話が出てくることがある。今日もホットエントリーを眺めていたら、2つの記事が取り上げられていた。

片方の記事は、幼児アニメのコスプレに対して、子どもの目につかないところでやって欲しいという記事。他方は、静かな空間を求める人達に対し、子連れでの入店を禁止するカフェが存在しても良いのではないかという記事。

取り上げているテーマは全く異なる。しかし、『快適な空間を作るために住み分けが必要ではないのか?』という論点を上げていることについては一致しており、『子ども』がキーワードになっていることも共通だろう。

住み分けを行うことは、短期的には両者にとって心地よい空間を作り出すことが出来る。コスプレを見たくない人は見ずに済むし、コスプレしたい人ははっちゃけることが出来る。静かなカフェを楽しみたい人は平和な空間を得られるし、子連れ歓迎!と掲げられたカフェがあれば入りやすいパパママも居るだろう。

 

ふと両記事を読んで思い出したのは、『女性専用車両』が導入されはじめた時のことだ。当初から賛否両論あったものの、女性専用車両は、概ね好意的に受け入れられたように思われた。これで、痴漢の被害に遭うことがなくなると。

でも、本当にそれで良かったんだろうか。

本来、戦うべきは『殺人的な通勤ラッシュ』と『不届きな男性』であったはずだ。それが、女性を別車両に閉じ込めることによって解決を図る事になった。

まあおそらく、痴漢被害の軽減という意味では、それなりの効果はあったんじゃないのかと思う。『通勤ラッシュを解決する』『男性の性癖を改善する』といった困難な課題に立ち向かうよりも、効率的に状況の改善をすることは出来たのだろう。

 

この問題と、今回の件を比較するのは、少々無理筋かもしれない。だけど、利用可能な空間を分けることで解決を図るということは、共通しているんじゃないかなと思う。

例えば『子供の声がうるさくて堪らないので子連れ専用車両を作ろう』という声が上がるかもしれない。実現すれば、短期的には『お互いにとって過ごしやすい空間』が出来るのかもしれない。だがそういう声を取り入れていくと、限りあるリソースの運用効率は低下する。その影響を特に受けることになるのは、マイノリティだ。

今回の記事は、何も法規制を求めるものではない。片方はモラル、他方は商習慣について述べたものに過ぎない。また『子ども』という分かりやすく合理的な基準がある。

でも果たして、『子どもが怖がるから』『子どもの声のない静かな空間が欲しいから』は、『住み分け』を求めるのにあたって十分な理由なんだろうか。

 

『喫煙スペースなんて要らねえよな!』とか『銭湯だって混浴で良くね?』なんていうつもりはない。

だけど、こういった『住み分け』は、社会に大きな溝を作る可能性を持っている。それが公的なものでなくとも、『モラル』や『商習慣』といった世界でも、その存在については注視していく必要があると思う。

いくらそれが、合理的で効率的な結果に繋がるとしても、ふと目を離した隙に

  • 日本語の分からない外国人は居ないほうがいい
  • 障害者は別々のほうが効率がいい
  • 怪しげな低所得者は居ないほうが安全

そんな社会に突き進んでしてしまうことを危惧している。だから、心配しすぎかもしれないけれども、社会に線を引く行為には、十分注意をもって接しなければならないのではないかと考えている。

場合によっては、住み分けを進めたほうが合理的かつ効率的な社会になるのかもしれない。自分たちと同じ属性の人たちに囲まれた社会のほうが住みやすいのかもしれない。

だけどそれは、他者との交流が少なく、随分と定形化された社会になってしまうのではないだろうか。そして、その枠の中に入れなかった人は、どうすればいいのだろうか。

個人的には、多少は非合理であっても、非効率であっても、多様性を受け入れる社会であって欲しいと思う。ちょっとアレなコスプレや、子どもの泣き声くらいは受け入れるからさ。

 

奇しくも今日は終戦の日。平和な社会を作るためには何が必要なのか。いま一度考えてみるのも良いかもしれない。