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ゆとりずむ

東京で働く意識低い系ITコンサル(見習)。金融、時事、節約、会計等々のネタを呟きます。

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介護は家族の責任か?

経済・社会


ここ最近、新幹線に乗って出張する機会が増えた。

スピードの速さだけでなく、ほとんど遅れることのない定時運航率の高さには、いつ乗っても驚かされる。またそれを、最大5分に一本という間隔で実現していることは、鉄道に携わるすべての人たちの努力の結晶である。

わたしの場合、列車で電子機器を操作していると、高確率で気分が悪くなるので、車窓からの景色を眺めていることが多い。豊かな自然を目にしながら過ごす時間は、朝の6時半でなければ、実に快適な一時だ。

旅の時間は長いようで短い。やらなければならないことは沢山あるのだけれど、この列車に乗ると、ある事件のことを思い出し、考えに耽ってしまうことが多い。

俗に、JR東海認知症訴訟と呼ばれる裁判だ。

JR東海認知症訴訟

 その裁判は、ひとつの不幸な事故をきっかけとして始まった。

2007年12月7日午後5時45分頃、愛知県大府市のJR東海道線共和駅にて、ひとりの男性が列車にひかれ、命を落とした。亡くなった男性の年齢は91歳。認知症で要介護4の認定を受けており、外を徘徊している中、気付かず線路に立ち入ってしまったものと思われる。

痛ましい事故だが、更に遺族の心を傷つける事態がおこる。JR東海は、列車遅延による振替輸送にかかった費用などとして、男性の妻と息子に対し、720万円の損害賠償を要求した。

男性の妻は85歳だった。彼女もまた、足が不自由であり、要介護1の認定を受けていた。まさに『老々介護』の典型例とも言える。そんな状況であっても、外を徘徊しようとする夫に付き添い、朝から晩までの献身的な介護を行った。

もうひとりの被告、男性の長男は横浜市に住んでいた。遠方にもかかわらず、月に3回男性の様子を見るために訪問した。また、高齢の母を支えるため、実家近くに家を建て、彼の妻はそこで暮らしながら介護に協力していた。

男性には4人の子供がいたが、被告として損害賠償請求を受けることとなったのは、男性の妻と長男だけである。介護に積極的に関与しているということは、事故を防ぐことも可能であったはずであり、監督義務者としての責任を負うべきだというのだ。

この事件を耳にしたとき、わたしは大学生だった。

そもそも、街の中を危険な鉄の塊を走らせて、人命を奪ったのは誰なのか?事故を防ぐ責任の大きさは、JR東海のほうがより大きかったのではないか?

驚いたことに、過去こういったケースで裁判にまでなったことは珍しく、多くの当事者たちが、和解ということで泣き寝入りをしてきたといった話まで出てきた。法律の知識でも、使える時間や費用でも、圧倒的な優位にたつ大企業が起こす訴訟としては、あまりにも理不尽ではないのか?

3つの判決

私以外にも同じ想いを頂いた人は多かったのではないだろうか。

しかし、裁判の行方は予想外の道筋をたどる。一審、名古屋地裁での判決は、多くの人の想いとは裏腹に、被告の全面敗訴であった。判決を不服とした遺族は、名古屋高裁に上告する。

二審、名古屋高裁の判決では、長男は、男性の介護方針の決定に重大な役割を果たしていたものの、監督責任を求められるないとして賠償責任を否定。一方妻については、男性が徘徊を行う中で、第三者に損害を与える可能性は容易に予見できたはずとし、それを防ぐ義務があったとした。

そして最高裁にておいて、遺族側は全面勝訴を勝ち取る。妻・長男ともにその賠償責任は否定され『夫婦には、相互の扶助の義務が存在するが、それは第三者の損害への責任を共同して負うということではない。』そんな文言も盛り込まれた。訴訟費用についても、全額を原告であるJR東海が負担することも決まった。

私自身、法律の専門家ではないので十分に理解はできないものの、ウェブ上でも公開されている判決文は、介護の実情についてのまとめとしても興味深い。

 世間は最高裁判決を『温かみのある判決』として受け入れた。認知症患者や精神障害者を家族にもつ人たちにとって、この裁判の行方は大きな関心の的となっていた。一審敗訴のあと、徘徊時の行為にまで責任は持ちきれないと、施設介護に切り替える人すらいた。それだけ社会的な影響も大きな裁判だった。

待機老人問題

背景には、介護を担うことになる家族の大きな負担が存在する。

介護保険など、介護が必要な人のための環境整備は、進んできてはいるものの、実際に介護に携わっているひとは、圧倒的に同居の家族が多いの現状だ。

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(出典:誰が介護している?|公益財団法人 生命保険文化センター)

軽度な介護であれば、自宅で家族の支えで生活することは不思議ではない。しかし現状は、要介護4や5といった、大きな支えが必要となる高齢者についても、自宅での介護が行われている。

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(平成24年版高齢社会白書より筆者作図。単位は万人)

 要介護4や5とは『介護なしには日常生活を送ることができない』とされるレベルである。その結果、介護者にはほぼつきっきりの介護が必要となる。

厚生労働省の調査によれば、要介護4・5の高齢者を自宅介護する場合、半数近くのケースでほぼつきっきりの介護が必要となる。

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(出展:平成24年版高齢社会白書

自宅介護は、本人が希望して行われるケースも多いが、老人ホームなどの介護施設の秋がなく、結果として自宅介護となるケースも少なくない。入りたくても入れない、というところについては、近年話題になることが多い「待機児童問題」にも似たところがあるが、比較的取り沙汰されることは少ないように思われる。

別種の問題を、安直に数値で比較することは避けるべきだとは思うのだが、全国の待機児童数が5万人程度とされているのに対し、老人ホーム界の『認可保育園』である「特別養護老人ホーム」の待機者は、全体で52.4万人。在宅で待っている要介護4以上の人だけでも8.7万人もいるところを考えたら、決して無視できる問題ではない。

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(特別養護老人ホームの入所申込者の状況

そしてこれは、何も高齢者だけの問題ではない。自宅で介護するために、多くのひとが「介護離職」をしているという現実がある。その人数は、ここ数年コンスタントに8万人を超えている。この問題、保育園に空きがなくて働けない問題と、どこか重なって見えるところがある。

政府は、介護離職ゼロを政策課題のひとつとして捉えている。(参考:介護離職ゼロ ポータルサイト )。しかしそこで語られているのは、「介護サービスをしっかり使おう!」「介護休業を取りやすいようにしよう!」といった内容でしかない。問題は、サービスそのものの供給量と、働きながら利用することが難しいところにあると思うのだが・・・。

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(最新の労働統計より筆者作図)

モノ言う株主であれ、モノ言う国民であれ

今回の判決は、原告であるJR東海の訴えすべてを否定する結果となった。社会的な力も大きい大企業が、個人に対して訴訟を起こす場合、その判断は十分慎重に検討しなければならない。

とはいえ、今回JR東海が訴訟に踏み切ったことをそう簡単に否定することはできるのだろうか?

きれい事ばかりを言うつもりはない。発生した経済的損失は誰かが負担しなければならない。今回は、大企業対個人という構図の中で行われた裁判であったが、これが個人対個人であったのであれば、どうだったろうか。

また最終的にはJR東海の敗訴となったが、一審・二審では賠償金を受け取ることができる判決だった。高い公益性を持つとはいえ、JR東海も多数の株主から出資を受ける営利企業である。もし、正当な権利として受け取ることのできることができるのに、裁判を起こさないのは、株主への背任行為と言われても致し方ない。

ただ今回の一連の裁判は、介護に携わる人たちにとって、JR東海の企業イメージを失墜させることとなった。私自身、可能であれば同社の利用は避けたいと思ったことすらある。まさか、JR東海ほどの大企業が、そのリスクに気づかなかったわけも無かろう。

わたしは別に、芸能人が不倫をしようと興味はない。都知事がファーストクラスを利用しようと、それに見合った仕事をしてくれるのであればそれでいい。ただ今回の裁判は、多くの人に不安を与え「世間を騒がした」裁判であった。

今でもGoogleでは、『JR東海 認知症訴訟』と入力すると『鬼』というキーワードがレコメンドされる。

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JR東海の経営陣は、株主代表訴訟を起こされないよう、裁判をせざるを得なかった、という意見も聞かれた。もしも、この裁判を起こさせたのが株主であれば、株主は鬼の飼い主なのであろうか。そんなことはないだろう。ひとりひとり、血の通った人間であると信じている。

最高裁判決が出たいまこそ、JR東海には、どういった意思決定によって裁判を起こすに至ったのか?今後似たような例が起こった際に、どういった基準で行動するつもりなのか?それを説明する必要があるのではないだろうか。

 株式を上場して公開することは、すべての人が株主になりうるということである。それはつまり、上場企業は一般市民の感覚に照らしても理解可能な経営を行う必要がある。

JR東海株主に問いたい。今回の事件、その経緯も含めてどう感じられただろうか?

「世間」はそう簡単に、今回の裁判を忘れないだろう。しかし、今回の結果をどのように活かすのかを考えることは、同社の企業価値を高めることに繋がらないだろうか?もし経営陣が何も語らないのであれば、株主から積極的に声を上げていくべきではなかろうか。

本件は、数多くの重大な問題を提起したのではないかと思う。

  • 大企業が個人を訴えるということについて
  • 介護を行うひとの責任について
  • どのように地域で認知症患者を受け入れていくのかについて

法律には、ある程度「余白」の部分を残す必要があるため、何でもかんでも細かく決めることができないのは承知している。その結果として、すべての裁判官が同じ結論を出すわけではないことも理解しているつもりだ。

ただ、新しい証拠が見つかったわけでもないのに、三回の裁判で三回とも異なる結果となったのは、それだけ法制が不足しているということではないのだろうか。

今回の問題は、企業や裁判所が考えるには、大きすぎたのではないだろうか。介護のあり方について、唯一の立法機関である国会が、国民の代表として議論を行う必要があるのではなかろうか。

介護の問題について、みんなが納得できる答えを出すのは難しいのかもしれない。テーマとしては「地雷」となる要素も多いのかもしれない。しかし、企業の努力に任せる事ができる問題ではないからこそ、国会で深く審議するだけの価値のあるテーマではないだろうか。

もし国が動かないのであれば、国民が声を上げていくべではないだろうか。幸い参院選も近い。まだもう少し、このテーマについては考えていきたい。

それが、モノ言うことのできない死者への弔いとなるのではなかろうか。