ゆとりずむ

東京で働く意識低い系ITコンサル(見習)。金融、時事、節約、会計等々のネタを呟きます。

目が見えなくなって見えたこと


なんか大げさな感じのタイトルだけど、ここ2〜3日のところ、ほんと誇張抜きに殆ど目が見えない状態だった。

最初にアレ?っと思ったのは先週の月曜日。目の中に違和感があるなーと思っていたら、火曜日には目が真っ赤っ赤。水曜日、打ち合わせの後に病院に寄ろうかなあと思っていたものの、長引いてしまって行けず仕舞い。木曜日になって、ようやく早退して近所の眼科に行ったところ、貰った診断は妻とおそろいで『流行性角結膜炎』

金曜日は、もともと有給を取って家でのんびりする予定で、土曜日も家でゴロゴロしながら目がゴロゴロするーなんて記事をしたためるくらいの余裕はあった。

本当に大変だったのは日曜日から。朝起きて、目が開かないの。上瞼と下瞼が目やに(?)でひっついて、ベリベリ〜って剥がさないと目が開かない。なんとかこじ開けても、眼球も瞼もパンパンになっていて、目を開けている状態が維持できないんだよね。もう何時から飼っているか分からないくらい前から居るおばあちゃんちのデメキンみたいな感じ。

充血って、普通は白目のところに赤い血管がみえる感じだと思うけど、この時は目が完全に赤く染まるくらいの感じだったんだよね。物凄く気合を入れて目を開けば、何も見えないわけじゃないんだけど、猛烈な不快感で数分とその状態を維持できない。こうなればもう、寝てるしか無いわけで、日曜日は多分、合計30分も目を開けてない。

で、今週の月曜日。あんまりに酷いもんだから、ほぼ快復した妻と一緒に、もう一度眼科まで。ほとんど目が開かないから、妻の肩に手をのせて、点字ブロックの上を歩きながら、謎のメロディを頼りに交差点を渡りつつ、なんとか到着。

診断は変わらず、伝染るやつですねー、ちゃんと消毒してくださいねー、と言われ、追加の目薬をゲット。その後、おうちで大人しく過ごしていたところ、火曜日には山を越え、水曜日には何とか普通に目が開けるように。

ただインフルエンザと同じで、しばらくは感染する可能性があるんだよなあと思いながら、会社まで電話したところ

 とのことで、今日も明日も蟄居状態です。

目が見えなくなって見えたこと

勿論、頭が痛くなるのも、お腹が痛くなるのも、全部辛いけど、目がやられて一番つらいのが『情報が手に入らなくなる』ことなんだよね。

  1. 冷やしたほうがいいのか暖めたほうがいいのか?
  2. 目薬は、寝てるときも定期的におきて差したほうがいいのか?
  3. 目はなるべく閉じといたほうがいいのか?

いまであれば、ネットでちょっと調べれば色んな情報が手に入るけど、それが出来なくなっちゃうんだよね。あと、看病してくれる妻が居てくれたから良かったけど、これ一人暮らしだったら色々積んでたな、と。

病院の診療時間しらべて貰ったり、晩御飯の材料買ってきて貰ったり、目薬の時間教えて貰ったり。周りに頼れる家族が居ない人は、それを全部自分でやらなきゃいけない。

当たり前だけど、家族って最強のセーフティーネットだよなーと。

でも普通に生活を過ごしている範囲の中だと、それは中々目に見えてこない。災害が起こったとき、失業してしまったとき、そして病気になったとき。渡り綱から足を滑らせてしまって初めて、その存在に気がつく。

散々、病原菌扱いしてきた会社だって、なんやかんやでここ数日間のお給料はいつも通り支払われる。自営業だと、きっとこうはいかない。

ただ支えて貰っているものの大きさを知れば、同時に支えられていない人のことや、いざ自分が支えを失ってしまったときのことを考えてしまう。

三十而立

そんなことを考えていると、やはり改めて『一番、頑張っている人』でも『一番、たくさんの人』でもなく、『一番、苦しんでいる人』にとって優しい社会を目指さないといかんのとちゃう?なんて思った。

学生時代の昔ばなしになるんだけど、ちょうど就職活動をしていた頃、周囲には『22で働く会社を決めるとか無理だよね〜』なんてことを口にする学生は少なくなかった。いやいやいや、高卒や専門卒で働いている人なんて、いまのご時世でも沢山いるよ。経済学部生なのにそんなことも知らないの?と思ったけども、彼らは本当に知らないんだ。

卒業生のほぼ全員が大学へ進学する中高一貫校で育ち、付き合う交友関係もみんなそんな感じ。概念として、高卒でも就職する人が居ることは知っているけど、そんな世界には接点も興味もなく、ろくにニュースも見ないから、統計的な感覚もない。

自分たちの世界の外側については、知ろうとすら思わない。

きっと『一番、苦しんでいる人』は、色んな人の関心の網からくぐり抜け、ひとりポツンと取り残されてしまっている人なんじゃないだろうか。それは、ひょっとすると明日の我が身なのかもしれない。

 

気がつけば、今日で30歳。論語曰く、『三十而立』だそうな。『四十不惑』までは、10年ある。まだまだ、惑うことも惑わされることも多いかもしれない。それでも、しっかり而立して、考え続けて行きたい。そんなことを思う今日このごろです。