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ゆとりずむ

東京で働く意識低い系ITコンサル(見習)。金融、時事、節約、会計等々のネタを呟きます。

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もういっそ国会議員は抽選で選んだほうがいいのかな?

経済・社会


こんにちは、らくからちゃです。

あれー、最近の大相撲ってスーツ着ながら団体戦で行うようになったんだっけ?と思ったら国会中継でした。

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佐藤議員のメガトンパンチ!

みたいな感じの絵面ですね((((;゚Д゚))))。

ところで皆さん前回は、色々なコメントを頂き本当に有難うございました。

 今までもいろんなコメントをいただいてきましたが、ここまで『良記事』とか『納得した』とか頂いたのは初めてで、嬉しさに震えております。それと同時に、酔った勢いで書いたせいか、上手く伝わりきらなかった点もあるので、ちょっとだけ捕捉をさせてください。

同記事では、『最終的には多数決で決める』という民主主義の最も根本的な原理を否定したいわけではありません。ただ、最後の最後に多数決で決めるとしても、

  • より多くの人に議論に参加をしてもらい
  • 可能な限り多くの人の意見を取り入れ
  • 多数派も少数派も『これならいいかな?』というプランをまとめ
  • 全会一致に至らなくとも、可能な限り多くの賛成票で可決する

ことを目指すことが『民主主義』じゃないのってことです。民主主義の根本的な原理って『みんなの意見を取り入れて、みんなで納得した上で物事を進める』ことであって、賛成派・反対派、多数派・少数派ともに、真っ当な議論を進めようとしないのって、どーなのってことが言いたいわけですね。

もちろん、緊急時においては事前に決めておいた代表者が議論を経ずに意思決定をすることは、それを事前に『民主的』に決めてあったのであれば、民主的な進め方です。ただ、今回のように国会に諮って審議をするのであれば、もう少し時間をかけても良かったんじゃないのかなあというのが、個人的な感想です。

また、頂いたコメントの中には、議員そのものの決め方についてのコメントもたくさんありましたので、今回はそのへんをちょっと掘り下げてみたいかなあと思います。

国会議員はどう決めるのが良いんだろう

頂いたコメントを見ていると、『そもそも議員を選ぶ方法そのものが多数決なのに、多数決は駄目っておかしくない?』みたいなものも有りました。その件については、先に書いたとおり『その方法にみんなが納得しているのであれば』代表者を選ぶことに多数決を挟むこともまた『民主的』な方法じゃないかな、と思います。

でも、こういった状況が生まれると、『もういっそのこと直接民主制にしようよ』という声も上がってきますが、直接民主制が正しいのかと言われると、そこも(´ε`;)ウーン…って感じはします。議論に同じだけのコスト(時間)をかけるとすると、

  • 100人が1時間をかけて出した結果
  • 10人が10時間をかけて出した結果
  • 1人が100時間をかけて出した結果

のうちどれが一番いいの?と言われると(内容にもよりますが)やはり真ん中かなあと思うんですね。みんな政治のことばかり考えているわけにはいきませんし、ひとりのひとに決定を委ねるのは危険です。ですので、代表者を選んで議論を行って貰うんですね。

問題は、代表者の決め方がどの程度適正なのか?というところです。

前の選挙が行われてから暫く経ってしまったので、ちょーっと忘れかけてきてしまいましたので、せっかくなので、復習しておきたいと思います。日本の国政選挙は、衆議院・参議院で違いますが、こんなルールで決められて居ましたね。

  • 衆議院・・・小選挙区比例代表並立制
  • 参議院・・・都道府県別大選挙区制と全国単位比例代表制

衆議院で採用されている小選挙区比例代表並立制は、1人だけを選び出す小選挙区での選挙で決まります。さらに、そこから落選した人であっても、『党』の単位で集まった票数に応じて割り当てられる議席が余っていれば当選することが出来ます。これが、一部の人たちから評判のあまりよくない『復活当選』というやつですね。(一応補足すると、比例区だけの立候補も可能ですし、順位は事前に決めておき同一順位の人の中だけで惜敗率を使うという方法もできます)

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(出典:総務省|選挙の種類)

参議院では、それぞれの都道府県別の選挙区から、都道府県の規模に応じて複数名の議席を争う大選挙区制が取られています。いつもこの『都道府県の規模』について巻き起こる議論が、いわゆる『一票の格差』問題ですね。

また、全国単位で行われる比例代表での議席もありますが、選挙をする際は『党の名前』か『立候補者の名前』のどちらかを自由に書くことが出来ます。『立候補者の名前』を書けば、その党が獲得した議席を割り当てる際に、名前の順位で割り当てられていくようになるんですね。だから、選挙に行くと『すんげえ沢山の人の名前』が並んでいるのが参議院選挙の特徴ですねえ。

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(出典:総務省|選挙の種類)

みんな投票先をどうやって決めているのかしら

ところで話は分かりますが、選挙のとき、皆さんどんな基準で投票する先を決めています?比例代表については、党の政策の方針が自分の考え方に一致するかなどを考えて決めていますが、困るのは小選挙区ですね。

『所属している党の政策』と『立候補者の個人的な資質』のどちらを重視したらいいんだろうか?というのはいつも考えているのですが、基本的に『党が公認しているんだから、最低限の資質くらいは持っているだろう』と思い、党の名前で考えて選んでいるのですが、今回の『最低限の民主的な議論』も出来ない人たちばかりだということが分かって、ちょっと色々考えなおさなければなあと思う次第です。

ぶっちゃけ、ドント方式の細かい計算方法とかより、実際に議員をどんな基準で選ぶのか?といったことを議論させたほうがよっぽど価値があると思うんですけどねえ・・・。政治の話題をタブー視する日本の教育制度の中では色々厳しいのかなあ。

きっと、そういった教育の不足が投票率の低下にも繋がっているんとちゃうのん?と思ったりするんですけどね。

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(出典:総務省|国政選挙における投票率の推移)

民主主義の前提は、『みんなで考えたことだからそれに従ってやろうよ!』のはずですが、ぎりぎり50%の人が参加して決めた代表者が『みんな』なのかなあと言われると、ちょっと違うと思うんですよね。

そこで思うんですよ。『民主的意思決定の出来ない議員』『一票の格差』『低い投票率』その全てを一発で解決する方法があります。

全国民の中から抽選で議員を選ぶこと

です。

現代に残る『くじ引き民主主義』

なーんてくだらないことをツイートしてみたところ、

 思った以上にふぁぼが付けられ(当社比)、もしかして意外とありかもしれないかしらと思い、ちょっと調べなおしてみました。

公職者を『くじ引き』で選ぶという方法は、珍しい話では有りません。ちょっと、こちらの記事から引用したいと思います。

古代ギリシャや古代ローマ、あるいはルネッサンス期のイタリアまで、近代以前の民主政治では、統治者の選出にくじ引きが普通に用いられていた。古代ギリシャでは、行政官や裁判官を含む公職の約9割がくじで決まった。

歴史に詳しい皆様であればご存知の話だとは思いますが、『くじ引き』による代表者の選出は古来より取られてきた伝統的な方法のひとつです。『でもそれって昔の話でしょ?』と言われると、どうもそうでもないようなんですね。

夢物語をいっているのではない。21世紀に入って、既存の民主主義が機能不全を起こしているとされる中で、再発見されたのは、このもうひとつの民主政治だった。アイルランドでは2012年に憲法改正内容を討議する「憲法会議」が設置されたが、その構成メンバー100名の過半数を占めたのは議員ではなく、くじ引きで選ばれた有権者66人だった。経済危機で破綻の憂き目にあったアイスランドでも、市民の発案でもって、2010年にくじ引きで選ばれた市民25人が新憲法制定会議に陣取った。

この話は私も知らなかったのですが、現在でも実際にくじ引きで選ばれた代表者による『民主的な意思決定』は行われているそうです。古代、『くじ引き民主主義』が行われていた国々を見ていると、それなりに教育水準の高かったところが多いような気がします。(もっとも奴隷や所得の低い人は排除した『参加資格』がそれなりに厳しかったこともあったかもしれませんが)

そう考えると、識字率の低かった時代ならとにかく、義務教育による国民皆教育が普及した現代であれば、『くじ引き民主主義』は選択肢として結構『あり』なのかもしれません。抽選によって選ばれた一般市民であれば、下手に『次の選挙』のことを考える必要も有りません。そういや、『裁判員制度』も始まりましたし、政策決定のプロセスに参加するのは思考実験として試してみたいものですね。

『12人の優しい日本人』に法案は作れるのか

この話を考える前に、わたしの中で凄く記憶に残っているひとつの映画についてご紹介させていただきたいと思います。

 本作は、三谷幸喜監督が、『十二人の怒れる男たち』というアメリカの映画に着想を得て、その『日本版』として制作された映画です。作られた1991年当時には、日本には『裁判員制度』はなかったのですが、もし仮に『日本に陪審員制度があったとしたら』というテーマの作品です。

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こうやって見てみると、結構豪華な出演陣ですねえ。今回も、サボってWikipediaからの引用で作品の紹介をしてみたいと思います。

ある陪審審理のために、素性も考えも裁判への意気込みも全く異なる、12人の一般市民が陪審員として会議室に集められた。

評決は全員一致が原則である中、最初の決で12人全員が『無罪』に挙手。呆気なく審議終了・解散となりかけたところ、陪審員2号が「話し合いがしたいんです」と言って意見を『有罪』へと翻す。いざ話し合いが始まってみると、意見があやふやな人・やる気の乏しい人・他者に流される人・意固地な人・・・。議論するたび、有罪無罪の決をとるたびに各自の考えは二転三転。

こんな状況で、『良くも悪くも日本人らしい12人』がある男性の死をめぐって事件か事故か、有罪か無罪かで激論を交わす。

12人の優しい日本人 - Wikipedia

最初は、『早く帰りたくて仕方のない皆様』がほとんど何も考えずに『面倒くさいので無罪』と結論を出してしまいます。ただし、陪審員は全会一致が必要。その中に、ひとり異を唱える人が出てくるんですね。そこから、もう一癖も二癖もある人たちが、『議論』にならないところから議論が始まっていく。そんな作品なんですね。

この作品をはじめて見た中学生の頃は、被告の無罪の為に戦ったから『優しい日本人』なのかなあって思っていました。でも、今となっては、『みんなで真剣に議論をして結論を出そう』としたところが『優しさ』だったのかな、なんて思うんですよね。

また、『フィクション』ではあるのですが、ここに登場してくる皆様の『知的レベル』としては一般の日本人のサンプルを取り出してもこんな感じになりそうかなあって思うんですよ。折角の二院制なんですし、片方はそういった人たちにしてみるのも面白いのかもしれませんね。

1億2千万人の優しい日本人へ

私見ではありますが、たいていの日本人は『12人の優しい日本人』のように、政治のような面倒で厄介な問題には積極的に関わりたくないんじゃないのかなあと思っています。わたしもそうだったのですが、ちょっと最近考えなおしたのは、この本の書評を読んでから。

ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書)

ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書)

 

ぼくたちひとりでは「見えない」ものも、専門家は見せてくれることができる。だが、専門家が見つけたものにはそれを「見よう」という強い意志を持つ、ぼくたちのような素人が必要なのだ。

参考:「民主主義」をもう一度考える/『ぼくらの民主主義なんだぜ』 - ぐるりみち。

この状況をみて恥ずかしく思ったのは『専門外だから』といって何の知識もなかったことなんですね。安保法案という個別の問題もそうですし、国政選挙といった代表者を選ぶこともそうですが、その議論に参加していくことって素人だからこそ必要だと思うんですよね。

『くじ引き民主主義』も悪い方法では無いと思うのですが、それをやってしまうと、国民が意思決定にアクセスする手段が無くなってしまいます。果たしてそれのほうが良いのでしょうか。現在の状況を見ると、『まだそのほうがマシじゃね?』なんてことも言えそうですが、本来はきちんと考えて選んだ代表者で議論をするべきなんじゃないのかなあと思うんですね。その為には、ほんのちょっとだけでも、民主主義に参加する『優しさ』が必要なんじゃないのかなあと思う今日このごろです。

最後に、忘れそうになりがちなこの言葉を引用して、この記事のまとめにかえさせて頂きたいと思います。

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

日本国憲法全文

ではでは、今日はこのへんで 

 

 今週のお題「人生に影響を与えた1冊」