梅の花を見るのが好きだ。
昔は、道角で梅の花が咲いているのを見ても「ああ、咲いているなあ」くらいにしか思わなかったものだが、最近この時期は、梅を見るためだけに梅園に足を運んでいる。花をより愉しむために、この花について自分なりにちょこちょこと調べるようにもなった。
とりとめのない話になるかもしれないが、せっかくなので書いてみたい。
日本と梅
梅の花は、今から1500年ほど前に、漢方薬のひとつとして中国から伝えられたと言われている。現代において、日本を象徴する花と言えば『桜』だが、奈良時代には『花』といえば『梅』のことを指した。
各地に植えられている桜はその8割型が『ソメイヨシノ』だそうだが、梅はよく目にするものだけでも随分と品種が豊富である。梅の品種は、大きく分けると
- 野梅系
- 豊後系
- 紅梅系
の3種類に分けられる。野梅系は、中国からの原種に近く、小ぶりだが香りが高い。豊後系は花つきがよく、まとまって花を咲かせる。紅梅系は、樹の幹まで紅く、真っ赤な花を咲かせる。大雑把に言えばそうした特色を持つようだが、更に細かな品種に分かれ、木の大きさ、花の形、花弁の色など特徴は多種多様である。
梅の花は、地域や品種にもよって異なるが、概ね1月頃に咲き始め、3月中ほどまでは花を保つ。桜は咲き始めてから一週間もすれば散ってしまうが、梅は一ヶ月ほどかけてじっくりと楽しむことが出来る。
(出典:岐阜市梅林公園)
天神様と梅
日本の歴史において、『梅』と聞いて真っ先に思い浮かぶ人物は、やはり菅原道真公だろう。学問の神様として広く知られている道真だが、その生涯には梅にまつわるエピソードが多い。
道真は、代々学者を務めた菅原家に生まれた。幼い頃よりその才覚を発揮し、5歳にして美しい歌を詠み周囲を驚かせた。その時に詠んだとされる作品がこちらである。
美しや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある
美しい紅梅の花片を、頬につけてみたい、そんな伸び伸びとした思いが込められた一首である。幼少の頃より、道真は梅を愛した。個人的な趣味というだけでなく、渡来文化の象徴であるこの花を、学門で成功したこの一家が、その文化とともに愛したのかもしれない。
道真は周囲を驚かせる成長を見せ、11歳にして今にも伝えられる漢詩を詠んでいる。その時の題材もまた梅の花であった。
月耀如晴雪 月の輝きは晴れたる雪の如し
梅花似照星 梅の花は照れる星に似たり
可燐金鏡轉 憐れむべし金鏡転じ
庭上玉房馨 庭上に玉房香れるを
その後道真は、才覚を認められて讃岐守として任地へ赴く。任地においては、その善政により領民から慕われた。また阿衡事件という『帝に対する藤原家のいちゃもん』に対しても堂々たる態度で両者を調停し、時の天下人藤原基経をも唸らせるとともに宇多帝の信任も得た。道真が、讃岐に赴くときに詠んだ漢詩にも、梅への想いが残されている。
為吏為儒報国家 吏りと為なり儒と為り 国家に報むくいん
百身独立一恩涯 百身独立するは 一いつに恩涯
欲辞東閤何為恨 東閤を辞さんと欲するに 何をか恨みと為す
不見明春洛下花 明春 洛下の花を見ざらんことを
都に戻った後は、参議、今でいう閣僚に任ぜられる。当時14人いた参議のうち、7人が藤原家、残り6人が源氏(旧皇族)、そのどちらにも属さなかったのは道真ひとりであったという。当時の門閥政治から考えれば破格の待遇である。
最終的には、右大臣、当時の行政機構のナンバー2にまで上り詰める。しかし、躍進を疎んじた藤原家の謀略により、太宰府に左遷させられる。太宰府にて、道真が紅梅殿・白梅殿と呼ばれた邸宅の梅に思いを寄せて詠んだ歌は、今も広く知られている。
東風吹かば 匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ
道真は、失意の中で世を去る。その後、都では左遷に関わったひとたちは不可解な死を遂げることになる。その中には、当時の政治の中枢である清涼殿に雷が落ち、多くの公卿が命を落とした清涼殿落雷事件と呼ばれるものもあった。人々は道真が雷を操り行ったものだと畏れ『天神様』として祀るようになる。というのが一般的な天神様の由縁である。
現代、道真を祀る天神様は『学問の神様』として広く信仰を集めている。それは、学問の力を以って立身出世を遂げたからだけではない。道真は、ただ学問を極めただけでなく、学問の力で世の中を変えようと汗を流した。
讃岐の地では、庶民の生活の苦しさを『寒早十首』という漢詩にまとめた。都では、私塾『菅家廊下』にて、多数の弟子たちを育て上げた。武の力ではなく、文の力で社会の仕組みを変えていこうとしたのだ。その辺りのエピソードは下記が詳しい。
消された政治家・菅原道真 (文春新書) | ||||
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本物の『学者』であった道真を偲び、各地の天神様には彼の愛した梅が無数に植えられている。
習志野市 梅林園に行ってきた(2016)
随分脱線が長くなってしまったが、ここ最近、天神様などにちょくちょくと梅を見に行っている。梅の有名スポットは、下記のような商業サイトにも多数掲載されている。
が、今回はこういったサイトには載っていない、近所の『梅林園』をご紹介してみたいと思う。
同園は、駐車場等は無いが、京成大久保駅または総武線 幕張本郷駅から徒歩15分ほどの住宅街の中にあるこじんまりとした梅園である。
詳細等は、こちらのページが詳しい。
少し大きめの公園、といったサイズだが、200本ほどの多種多様な梅が植えられており、飽きさせない。
毎度のことながら、写真がびみょーなのは、『実際に見に来てくださいな』というメッセージと受け取って頂ければ結構。
梅の木の良い所は、背が低く、じっくり姿を眺めて楽しめるところにもあるような気がする。
先週末に見に行ってきたが、ちょうど見頃だった。多分、今週末あたりまでは十分に楽しめると思う。
習志野市 梅林園に行ってきた(2017)
さて今年もまた行ってきた。
開花状況は8分咲くらいか。まだつぼみの花も楽しめて、ちょうどよい塩梅だ。
一部、養生されている気があった。また公園の敷地の半分ほどが改修中。ただ花の数としては十分で、園内には何組かの子供連れの夫婦がお弁当を広げながら花を楽しんでいた。
梅の花は、赤いものもある。ひとつ残念なのは、品種に関する表示はない。ただまあ家に帰って、この花はなんというものなのかなと調べてみるのもまた一つの楽しみだ。
桜もいいけど梅もいい
今年も天神様に行けば、沢山の合格祈願の絵馬が掛かっている。梅の見頃は、受験シーズンまっただ中。とても花を愛でているような気分でないときにも、梅は寒さにも負けずに花をつける。そして合格祈願に来た若者たちの門出を見る前には散っていく。彼らの晴れ姿を迎え入れる時には、桜の花が咲き誇っている。
卒業、入学、就職。節目の時期に共にある桜は記憶に残りやすい。その一方、そっと背中を見守ってくれた梅は、記憶には残りにくい。でもこの花を見ると、ひとつでも多く英単語を覚えようと必死だったあの頃のことを思い出す。
タイトルに挙げた
梅一輪 一輪ほどの 暖かさ
という句は、江戸時代の俳人服部嵐雪の作である。梅の咲く季節はまだ寒い。だが、その寒さの中でも、この花を見れば、こころがほんの少しだけ暖かくなる。そんな情景を詠んだのだろう。
梅の花が散れば、春はすぐそこだ。
- 2016/03/02 初稿
- 2017/02/26 2017年訪問分を追記