こんにちは、らくからちゃです。
ぶらっとネットサーフィンをしていたら、なかなか興味深い記事を発見いたしました。
比較対象がアメリカさんかーいとは思ったものの、実際に見聞きした範囲での感想として、『日本人が(アメリ人と比べたら)働き過ぎってほんまかいな』というところから色々なデータと重ねて書いて頂き、なかなか興味深い話だったかと思います。
あわせてこちら。その他の国との比較や、統計データの有効性への疑問、おまけに疾病休暇制度の有無等々、もう少し多角的な範囲での議論がされていてなかなかこちらも面白かったですね。
まあ実際、こういったデータって比較して見るのが難しいもんです。
データの取り方の違いもあるし、制度の違い等もある。簡単に比較できないところも多いんだけど、個人的に思うのは、そもそもの『労働時間が長い=働き過ぎ』ってところからどうなのかな、と。
日本人は『働き者』か
どんなに長時間会社に居たとしても、特にこれといって大した作業もせずにダラダラしていたら、それは『働いている』とはいえませんわな。何らかの、社会にとって必要な価値を生み出してこそ、初めて『働いている』と言えるんじゃない?
経済統計の世界では、生み出した価値(ここではGDP)÷労働量で労働生産性という指標を作って、色々と分析するんだけれど、その国際順位を見てみるとこんな感じ。
(出典:日本の生産性の動向)
一人あたりでみても、時間当りでみても、OECD加盟諸国の中でみて日本の順位は21位。いわゆる主要先進七カ国の中では最下位。更に、サービス残業で除かれている分が分母の労働時間に加算されると、もっと悲惨な順位になりそうですな。
ただ、こういったデータを見るときは国ごとの制度の違いというものも意識する必要がある。そういった時に見てみるといいのが、時系列のデータ。
調査方法の違い等もあるから、一概に日本やべーと言うことは避けたいところなんだけど、この結果だけ見れば、他国と比べると日本の労働生産性の成長率は低迷している。韓国が追いついてくるのもすぐそこ。
生産性が低いから長時間労働になるのか、長時間労働するから生産性が低いのか。なんにせよ、沢山の人数や時間をかけても、生み出している価値が少ないのであれば、良く言えば『真面目な怠け者』、悪く言えば『ただのアホ』。『勤勉か?』と言われれば、なんか違うんじゃないの?と思ってしまう。
労働生産性とは何か
もっとも労働生産性の分子になっているのは、付加価値(GDP)だ。つまり、お金を払ってでも、やって貰いたいと思わせた作業の量が少ない。労働生産性で評価する場合、金銭的に評価できない作業は生産物に含まれない。また、産業構造や政府と企業の関係など、マクロ経済的な要因も大きく、低いからといって、すなわち労働者が『サボってる』という意味にはならない。
とはいえ、働けど働けどなお、生み出された価値=賃金+利潤が増えない、世の中が必要とする価値が生み出す仕事ができていない背景には、働き方といった要素も少なくはないんじゃないだろうか。
本当に必要かどうかを考えず、惰性で繰り返される謎の作業。身につくのは、社外に出たらなんの価値もない処世術に近いような知識だけ。付加価値のない作業を延々と繰り返すだけの長時間労働。会社に縛り付ける以上、会社が雇用を保証せざるを得ず、雇用の流動性も低いまま。
気がつけば『煙草休憩』しているような低生産性の労働者も、前例踏襲の『判子文化』も、意味が無いと言い出せずに『無意味な会議』も生き残る。そう考えて見れば、労働慣行が生産性に与えている影響も小さくないのかな。
こういった業務の効率性については、比較出来るデータも少なく、目の前に並べられた課題を見て語るしかない一方、目の前の範囲について語ってしまえば観測範囲にとらわれてしまう。ただ色んな話を聞いていても、日本の労働効率、特にホワイトカラーのそれは、世界的に見ても低い水準のように思われる。
労働効率の上げ方
そんなもん『どうやったら上がるねん』とふと思い出したのが、友達の会社の話。あるシステム屋の代表が病気で倒れ、友達の会社の社長が、会社ごと引き受けた。だけど、どうも作業量に加えて、成果が上がらない。従業員に聞いて回っても『一生懸命やっている』の一点張り。
そこでどうしたのかというと、『皆さんの作業効率を改善するために、具体的にどんな作業をやっているのか分析してみましょう』と言い始め、マシン一台一台の操作が、社長席の横に設置したモニターに映るようにした。まあ、なんてことない。VNCをぶっ込んで、マシンの操作状況を順繰りで表示するようにしただけ。
で、どんな凄い改善案が見つかったのかって?いや、実は何もしなかった。ただ、『ちゃんと、何してるかチェックしてるからな』ということを示しただけで、何故かみんな仕事が早くなった。
経営学の世界では『観察者効果』とか『ホーソン効果』とかいう名前で知られている有名な話だけど、見られているということを意識させると労働者の作業の能率は改善する。蛸壺化した世界の中で自分だけが知っているルールでやっていると労働生産性は落ちていく。
ひとつ面白いなあと思ったのは、『別に昼休みとか休憩時間とかは、セキュリティ上やばいことや公序良俗に反することでなければ、自由にネットサーフィンしても良くね?』と、私的利用を原則自由にした上で、監視はオフにしたみたいだけどね。
他にも
- 作業手順を標準化し、誰でも他の人がすぐに引き継げるようにする
- 部署全体で残業を減らすことができたらボーナスを与える
- 仕事を『教えられる人』を評価する
- 残業続きの人には、社長勅命で特別休暇の取得を義務付ける
などなど、やったことは色々とあるらしいけれど、共通して貫かれた哲学は、『お互いの仕事をきちんと見えるようにしよう』ということ。
この話をしていると、『いやあ、うちはみんなそれぞれ特殊な作業をやっているから』という反応が凄く多かったんだけど、この会社だって最初はそうだった。それを、可能な限り『職人の世界』を排除して、風通しを良くしていくことは、割りと日本の企業全般のテーマなのかもしれない。
労働時間が長い=働き者の考え方から抜け出そう
もっともこういった取り組みは、日本の製造業では『カイゼン』の名のもとで行われていたはずだ。それが何故か、ホワイトカラーの世界では余り行われていないように思われる。別に、仕事の量を増やしたり、あくせく会社のために貢献しよう、って話じゃない。さっさと仕事を終わらせて、家で家族と晩ごはんを食べよう、という話。
前に、こんなものを書いてみた。
色々と細かい話もしたけれど、言いたかったことは2つ。物価を上げることは目標に掲げられている一方で、消費税も含めて家計が圧迫されることは間違いないのに、なんでみんな怒んないの?せめて、あわせて賃金も増やすことも目標に入れさせようよ。ということがひとつめ。
あともう一つは、みんなもっと消費が増えて豊かになるためには、労働生産性を上げていかなきゃいけない。その為には、最低賃金を1000円にするくらいの覚悟は必要なんじゃないの?って話。
繰り返しにはなるけれど、いくら長時間労働をしたところで、それで生み出される価値の量が少ないのであれば、それはサボっていたのと同じで『働き者』か、って言われるとなんか違う気がする。
勿論、ダラダラ席を暖めるだけの簡単なお仕事をしていただけの『積極的なサボり』もあるんだろうけれど、ただ黙々と低生産な作業を繰り返していたのであれば、それもまた『消極的なサボり』じゃないんだろうか。
日本人は『遅刻には厳しいけれど、提出期限には緩い』という話をよく聞く。弊社でも、『今日中』って言った場合、概ね『日が変わるまでに終わらせればOK』という認識で作業をする人が多かった。そこで、ちょっとは変わるかなあと思い、あらゆる期限に『17時まで』とつけてみた。最初はエンジニアの皆様も、ぶーぶー言っていたけれど、ある程度続けてみたら、時間を意識するようになったのか、だらだら終電まで作業する文化が改まったような気がする。
勿論、個々人の努力や小手先の改善程度で変わる範囲は高が知れている。だからこそ、みんなで少しづつ文化を変えていく必要があるんじゃないだろうか。それを『働く』って言うんじゃないのだろうか。
実際に、自分の作業を省みてみると、書いてて耳(手?)が痛い話も多いんだけれども、ひとつひとつ変えられるところから変えねばなーと思う、今日このごろでございます。
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ではでは、今日はこの辺で。