ゆとりずむ

東京で働く意識低い系ITコンサル(見習)。金融、時事、節約、会計等々のネタを呟きます。

続・コロナ禍の中で産まれた君へ

君が家にやってきてから、早くも5ヶ月が過ぎた。

お兄ちゃんが家にやってきてくれたときには、1年と少しの間にまた家族が増えるだなんて思ってもいなかったし、そして1年経ってもなおコロナ禍が収束していないとも思ってもなかった。

更にロシアはウクライナに侵攻し今日も沢山の命が奪われ、国内でも元総理が街頭演説中に撃たれて命を落とし、電力不足も物価高騰も先が見えない状況が続いている。

君の産まれた2022年は良いことよりも悪いことのほうが目立つ一年になりそうだ。

果たしてこんな時代に我が家に迎えてしまって良かったのだろうか?と反出生主義という言葉も脳裏をよぎる。

 

 

君は我が家にとって二人目の子供だ。

お兄ちゃんが家にやってくるまで「子供が家にいる」ということについて漠然としたイメージしかなかった。でも君が母さんのお腹に宿る前には違っていた。

子供と一緒に過ごすことは苦労するものも失うものも多い。自由に行きたい場所に行きづらくなるし、やりたいことをする時間も少なくなる。またお金の心配もある。

しかしお兄ちゃん笑顔は、そんなもの全て吹き飛ばすしてくれた。

またこんな大変な状況の中でも、沢山の人たちや社会の制度が助けてくれたため子供が家にいる新しい生活は「過去最高に幸せな日」を毎日更新する日々が続いた。

この幸せが2倍になったらどんなに素晴らしいんだろう。そんな中で君は我が家にやってきた。

 

 

父さんも母さんも、犠牲にしたものはあったにせよ、比較にならないほど大きな幸せを手に入れられた。そしておそらく今までに社会に対して支払ってきたものよりも大きなものを受け取っている。

こんな贅沢が許されるのだろうか?

それが許されるとすれば、すべての人がみな「産まれさせられた子供」だからだろう。

少なくとも現代科学の範疇において、自分の意志で産まれたいと思い産まれる人はいない。「産まれさせている」といったほうが良いだろう。子供が親に反発して使う「産んでくれと言った覚えはない」はきっと正しい。

本人の意思と関係なく、苦難に満ちた世界に召喚されてきた以上、子供が産まれることを望んだすべての人、言い換えれば世の中、なんなら「神様」とやらに対して、私たちはみな大きな「貸し」がある。

ならば幸せな家族を作る権利は産まれてきた瞬間に平等に与えられているのではないだろうか。

 

 

世の中には子供を育てることに対して、次世代へバトンをつなぐための責務だとか、生物としての役目(!!)だとか、すでに世界から与えられた「借り」に対する返済の義務があるかのように語る人がいる。

考え方は人それぞれだと思うので否定するつもりはない。ただ君たちに伝えておきたいのは、君たちは2人とも何かの借りを返すためではなく、父さんと母さんが幸せを求めた結果として産まれてきた。

なので君たちは、この家で過ごすことに対して、何かを返す必要なんてないし、むしろ沢山の笑顔で与えたもの以上のものを贈ってくれている。

これからまた苦しいことの多い世の中が続いていくかもしれない。人はみな産まれる場所も時代も選ぶ事はできない。何も選ばずに産まれてきたのだから、何も押し付けられる必要はない。

君たちに望むことは、ただ一つ。幸せになって欲しいということだけだ。

それが何かは、君たち自身で決めれば良い。

欲しい物・やりたい事があれば全てを求めればいい。そしていつの日か、父さん母さんのように子供を産み育てたいと思うのであれば、同じ幸せを掴みに行けばいい。

それを叶えることは、多くの先人達が繰り返し、そして私たちがしてもらってきたように、君たちが産まれてくることを望んだ私たちの仕事だ。

それでは君たちの未来が光り輝くものになることを祈って!

 

父より