こんにちは、らくからちゃです。
気づけば、街はすっかり選挙モードですね!我が家にも投票券が届き、身が引き締まる思いです。
しかしまー、何がなんだか良くわからない選挙ですよね。
モリカケ問題の終着点も見えない中、緑のおばさんが色々ひっかき回してくる上に、前原さんのところも完全に空中分解状態。唯一の望みは枝野さんな気もしますが、どこがどうなろうと、選挙後の姿がさっぱりよくわかりません。
気分はこんな感じ。
公示後に至っても、政局の話がメインなのは、さすがに異常な感じがしますね(´・ω・`)本当は、働き方改革とか子育て支援とか消費増税もかな?切羽詰まった問題が盛りだくさんのはずなのに、こんなんでええんでしょうか・・・。
そういや選挙一回には数百億円なんて話も良く聞きます。ざくっと調べてみましたが、2012年の衆院選では666億円ほど掛かったみたいですね。
(出典:解散総選挙? 衆院選ではどのくらい税金が使われるのか)
費用の内訳を見てみると、最も大きい割合を占めるのは都道府県や市町村などの自治体に委託する選挙執行管理費用で、これだけで9割以上を占める。投票用紙の印刷や投票所の運営、開票作業に携わる人件費のほか、候補者のための選挙カーの費用や選挙ポスターの作成にも、公費が使われる。
土日に駆り出される市町村職員の手当などだけでも、結構な金額になりますよね。
そんな『目に見える費用』以外にも、前から準備していたお祭りが中止になってしまったり、投票に行くための時間にやろうとしていた作業ができなくなったり『目に見えない負担』も含めると、もっと大きな損失です。
莫大な費用と時間が掛かる以上、しっかり考えと投票しろよ!というのも分かりますが『選挙権を行使しない国民=義務を果たさない社会不適合者』とレッテルを貼ってくる選挙ハラスメント行為もどうなのかな、とは思いますよね。
こんなわけの分からない選挙もう棄権しようぜという声も漏れ聞こえてきますが、そんなことしても意味不明な選挙を仕掛けた人たちを利するだけでしょうね・・・。
でもね。『なんだかさっぱりわからんが、行きゃあそれでいいのか』というのもどうなんでしょう。以前、参院選に関するまとめを書いているとき、なかなか気になるデータを発見しました。
4割のひとが投票日前日・当日に投票する政党や候補者を決めているそうです。更に、投票日当日に政党や候補者を決めた人の3割近くが5分以内で決めてしまっているという結果もあります。
(出典:選挙におけるインターネット活用実態調査)
でもね、その昔『無党派層は寝ていてくれたほうがいい』とかなんとか言って炎上しちゃったひとがいましたけど、かなり多くのひとたちが『全然わからない。俺たちは雰囲気で投票してる』って状況じゃないでしょうか。
結果の是非はさておきとし、最近の衆院選では争点に占めるマニフェストの比率はかなり高くなってきたな、と感じていました。しかし今回は、メディアやネットを眺めてみても、もうほとんど話題にすら上がっていないような・・・。
これ、民主主義として何十歩も後退してないっすか?
この意味不明な状況をなんとかするにはどうしたらいいのか?会社でプーアール茶をすすりながらふと思ったのですが、いっそ選挙権を抽選にするのはどうでしょうか。
選挙権抽選制度という思考実験
とまあそんなことをボヤいていたところ、親切なエコノパンクさんが面白い記事を紹介してくれました。
そういや昔、こんな記事を書いたのを思い出したけど、議員そのものを抽選で選ぶのはさておき、選挙権者を抽選にするのはあかんのかな。https://t.co/AdmyDInYih
— らくからちゃ@はてなブログ (@lacucaracha) 2017年10月12日
いつもありがとうございますヽ(=´▽`=)ノ
https://t.co/zyvusSXWqa
— ᎬᏟᎤ₦ᎤᏢᏌ₦Ꮶ (@spritzer_) 2017年10月12日
候補者ではなく投票人をランダムサンプリングすればうまく行くのでは、というお話。
まず有権者の中から、無作為に少人数の投票者を選びます。立候補者は、彼らの前で討論をしたり、直接ディスカッションを行うことによって政策を伝える。投票者は、その結果を踏まえて、じっくりと考えてもらい投票する。って感じですね。
多くの人はじっくり考える時間がなく、思いつきや短いテレビ広告を基に重要な判断を下さなければならなかった。スタンフォード大学熟議民主主義センター所長のジェイムズ・フィシュキンは、現行のシステムは民主主義の力を生かせていないと論じる。「熟考する時間がないので、人によっては候補者の髪型が好きかどうかでリーダーを選んでいる」。
フィシュキンは、法的拘束力のある判断プロセスの一部として少人数グループによる熟議を取り入れるという新しい方法を、ギリシャ、中国を含む18カ国で計画している。ある政策のメリット、もしくはある候補者の長所について専門家たちが討論するのを、無作為に選ばれた200人から300人の集団に、1日から2日間かけて聞いてもらう。その後投票してもらって、結果を法律化するという。
全ての人に等しく選挙権が与えられるというのは民主主義の原則でもあるわけですが、『投票に行く余裕があるひと』を代表しているに過ぎないよねという風にも考えられます。
そこで、一定割合をランダムに抽出した上で、交通費や日当を支払った上で、きちんと話を聞いて貰う。一人1万円渡したとしても、100万人で100億円。投票所の数もずっと減らせるでしょうから、コストも安くつくでしょう。
これは、マジメな立候補者にとっても言える話。
さらに少人数制選挙は、選挙資金改革にまつわる問題にも終止符を打つ。少数を無作為に選ぶとなると、テレビ広告を打つのは鈍重な感じがする。各戸訪問、州をまたいでの選挙活動、電話攻撃などはいずれなくなり、政治家は何百万ドルもの資金を集める必要がなくなる。以前は選挙資金改革を試みても失敗したが、少人数制選挙は問題を根幹から変えてくれるだろう。
わたしたちの民主主義は、本来の狙い通りに機能していないし、人口の大半の意見は、正しく反映されていない。投票する人の判断は、裕福な個人や企業が打った誘導広告によって大きく影響を受けているからだ。少人数制選挙を取り入れれば、納税者は年間何億ドルもの無駄を省ける。しかも少人数制選挙は実施の負担が少ないので、より頻繁に行われ、市民の発言力が大きくなるかもしれない。市民による国の統治を目指すなら、民主主義の根底に立ち返らなければならない。国民の意思を正しく反映させるために、無作為に選ばれた市民に賢明な判断をしてもらおう。
確かに言われてみれば、資金力のある人のメッセージ性の強い言葉のほうが届きやすいのは事実です。
社会がよりますます複雑になる中で、対処すべき課題は余りにも多い。一方で、票を得るためには、ネットで拡散されやすい『耳触りの良いセリフ』や『誹謗中傷』を並べ立てることが一番効果がある。
その結果、某国大統領のような政治家が生まれるのは火を見るより明らかなわけです。
機能不全に陥った民主主義を改めるには、こうした抽選型の選挙を行い、
- 無意味な選挙運動を行う必要性がなくなる
- そのために掛けていた労力をより有意義なことに使える
- コストが下がれば頻度を増やすこともできる
- 結果として政治の質が上がる!!
を実現する必要があるのです!!
民主主義って何なんだろう
っていうのが、この種の議論の主張だと思うんですけどね。確かに『選挙そのものの効率』だけ取り上げてみれば、成立する議論でしょう。
でも、生涯一度も選挙の機会が無いかもしれない。そんな状況になれば、政治に関心を持つ人はきっとぐっと減っちゃいますよね。そうなればテレビや新聞も、政治のことを取り上げるモチベーションが下がりますよね。
また投票後も『次の選挙までちゃんとやってくれるかな?』と確認するモチベーションも下がるでしょう。
"効率厨"的な視点から見れば、選挙権の抽選制度は非常に理にかなった仕組みです。でも、選挙って『民主主義』のごく僅かな一シーンに過ぎないですよね。
選挙は投票日に行われますが、政治は毎日続くわけです。
何も選挙の日だけでなく、常日頃から政治家の活動をチェックすることによって民主主義は成り立ちます。
だからこそ、苦しい生活の中で助けを求めているひとが、政治に正しくアクセスできるのか。本当に正しい判断が出来るような仕組みになっているのか。何か仕組みを変える必要はないのか。
『そんな理想は叶えられっこないんだから、もういっそ抽選制にしたほうがマシじゃね?』と言われないためにも、その議論は常に続けなければならない。
そのためには、余裕のある人は投票所へ行くだけでなく、さいとーさんが言うように、ちゃんと政党に参加することも必要なんでしょうね。
そういや、憲法にもこんな条文がありましたね。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
もう一度、マニフェストちゃんと読んでみますか。
ではでは、今日はこのへんで。