こんにちは、らくからちゃです。
ベルマーク集めが、いい加減みんなから愛想つかれているそうです。「なんかいいアイデアくれ!」って丸投げするあたりも、ゲンナリポイントですが、非効率極まりないというのはそのとおりでしょう。
じゃあこれ、なんかスマートなアイデアで『KAIZEN』して効率的にすりゃ、みんな戻ってくんのかと言えば、過疎の村に孫が帰ってくる可能性よりも低いでしょう。というのも、そもそもベルマークって、ある意味"手間が多い"からこそ成り立っていた仕組みなんだよね。
ベルマーク運動の企業側のモチベーションについて
そもそもベルマークってどういう仕組みやっけ?ってところから軽くおさらいしときましょう。
図にすると分かりづらいけど、
- 消費者が協賛会社の商品を購入する
- それをPTA等で集めて整理しベルマーク財団に送る
- ベルマーク財団は点数分協賛企業に請求する
- 協賛企業は点数分銀行へ振り込む
- ほしい設備を注文する
- ベルマーク財団は協力会社に発注する
- 給水器が学校に届く!!
要所を抑えるとこんな感じ?まあ割と面倒くさい仕組みこんな七面倒臭いことをに、お金を持ち出す企業にはどんなメリットがあるのだろうか。
まず社会貢献に協力的な企業だというイメージを消費者に与えることが出来ますわな。勿論、同じくらいの金額の他の商品に対して優位に立つことが出来るし、特に新商品を出すとき何かは「ベルマークついてるし買ってみる?」とアピールする効果は大きいよね。
更に売り場でだけじゃなく、ベルマークを切り取ったり、集めたベルマークを整理したりしているときにも訴求効果がある。しかも「子供が居る家庭」をターゲットに効率的に販促費を使うことも出来る。
あと案外知られていない効果としては、集計した結果から、どこでどれくらい売れているのか?を分析することにだって役に立つんだよね。
ベルマークは非効率だったから意味があった
極端な言い方にはなるけど、ベルマークっていうのは、面倒だからこそ意味があったんだと思う。
いまのようにインターネットが普及しておらず、商品に関する情報が手に入り辛い時代においては、例え集めるのが面倒でも、ひと目見て分かる「ベルマーク」は購買動機を喚起する分かりやすいアイコンだった。
またベルマーク運動という井戸端会議を作り出し、商品の話題を広げることは、今よりも「口コミ」の影響力が大きかった時代においては、何よりも強力なプロモーションになった。また子供の居る家庭を狙い打つことで、親だけでなく子供にまで商品の宣伝を行うことが出来た。
そして、今のような単品管理をする仕組みのない時代において、自社の商品がどの地域の消費者にリーチできているのかを確認する作業をPTAに"外注"できるのは、マーケティングリサーチ活動としても非常に効果的な仕組みだったんだろう。
その前提となる環境はガラッと変わった。
消費者は「ベルマークの有無」なんて自分にとっちゃ何の意味もないものより、ネットで調べた情報や評判を重視するようになったし、プライバシーが重視される当代において他所様のご家庭が何を買っているのかなんて不必要に触れたくない話題だろう。またPOSを通して詳細な販売データが手に入るようになったいま、最早ベルマークによって得られるデータなんて大した価値を持ちゃしないだろう。
支援のあるべき形
ベルマーク運動は、不便な時代だったからこそ価値があった。環境が変わってしまった以上、もはや生み出す価値よりも犠牲のほうが大きい。似たような話は、プルタブでもあったよね。
もともと道端に落ちているプルタブで怪我をするひとを防ぐために始まった運動のはずが、プルタブを無理やり外そうとしてむしろ怪我人を生む結果となった。ある意味これに近いところがあると思うんだよね。
QRコードを使って効率化したり、ウェブで簡単に出来るようにしたり、いっそ直接企業が学校に寄付するようにしたりするっていうのは、どれも本末転倒なんだよ。
ベルマーク運動のあるべき形は「発展的解散」じゃないのかなあ。
もし企業からの支援を行うとしたら、全く無意味に保護者のPTA活動での作業を増やすことじゃなくて、保護者がPTA活動に取り組み易い環境をつくることが必要なんじゃないだろうか。「今日はPTAに行くので休みます」と言いやすい労働環境を作ることこそが、多くの働くひとの求めているものなんじゃないだろうか。
まず何よりも「大切なお父さん・お母さんたちを、家庭や地域から奪っている」ことを、経営者は自覚しなきゃならない。その影響は、共働き世帯の増えた現代においてより重大になっていることもね。本人たちは、仕方なく、または好きでやっていたとしても、子供や学校には無関係の話だ。
そのあたりも考えながら、今後について決めるのも良いんじゃないだろうか。
ではでは、今日はこのへんで。