ゆとりずむ

東京で働く意識低い系ITコンサル(見習)。金融、時事、節約、会計等々のネタを呟きます。

大道芸人に1000円課金するおじさんになった話

こんにちは、らくからちゃです。

子供と一緒に色んなイベントやショッピングモールや公園に行っていると、大道芸をしているひとに出くわすことがあります。

火のついた棒を投げていたり、お猿を回していたり、風船膨らましていたり。

子供達は興味津々で「ね、見てみようよ」と目で合図してくるので、しゃーないなー、賑わかせの頭数になってやるかと足を止めたところ、なんやかんやたっぷり30分近く楽しみ、子供と一緒になって拍手している日々です。

さて芸そのものに加えて、あわせてセットで密かに楽しみにしているのが「集金の仕方」。施設に雇われたひともいるのかもしれませんが、多くの人は集金箱に集まるおぜぜを頼りに生活しているので、そこの実入りは生命線なんでしょう。

  • 急に音楽を止めてアナウンスするひと
  • paypayでも払えるのをアピールするひと
  • 入賞歴等でレベルの高さを主張するひと
  • 500円以上のおひねりでグッズくれるひと
  • 逆に無理して払わなくていいというひと

なるほど、そうして財布のひもを緩めるのかと、いち会社員としてもなかなか参考になります。

子供が生まれるまでは、いくらアピールされても謎に「払ったら負け」と意固地になり、「最初から見てたわけじゃないし」「ちょうどいい小銭がないし」「ここで払うよりS&P500で運用してお金を増やしたほうが」などなどと、自分への言い訳を考え、そろそろ集金タイムだなと感じたら、そっと立ち去ったり、こそこそ申し訳程度に100円玉をこそっと入れる程度でした。

だったのに、なんということでしょう。いまや子供に1000円札握らせて「はいどうぞしてきて」とかいうおじさんが居るではないですか。

残念ながら、賞与や各種手当を除いた純粋な時間給では2000円ちょっとの雇われの身ですので、1000円は未だに小さな金額ではありません。

とはいえ楽しんでる人数は3人前に増えているわけです。それにこの年齢まで生きていると、この30分の時間のために、いま目の前にいるひとがどれだけ多くのものを犠牲にしているかが見えてしまうんですよね。

たくさん練習しただろうし、自治体との登録だの認可だのの準備にも時間がかかる上、それだけ努力しても天候や色んな事情で全然お客さんが来てくれないこともある。そして、そうした生活を選ぶことに、周囲の理解や家族の同意、なにより自分との葛藤に打ち勝たなければならない。

そうしたコストへの対価として、1000円は決して高い金額では無いかもしれないけど、かつてそこから逃げていたことへの後悔を含めて、平均よりは高そうな金額を渡している次第です。

またできる限り最初に率先して渡すようにして、流れを作るようにして「これくらいは渡すのが普通なんだ」という空気ができれば、それを見たひとの行動が変われば良いかなと思っています。

そうしてお金が回る世の中になっていけば、回り回って自分たちの生活をよくなりますし、芸で身を立てて生きていく選択肢のある社会のほうが、明るく自由でいいじゃないですか。

それに子供達には、たとえ払う義務はなくとも、自分が良いと思ったものにはしっかり課金するようになって欲しいと思うんですよね。

といった話を職場でしていたら「そういや大道芸の人にお金渡す人増えた気がする」といわれました。その背景には、近年の賃金上昇や物価高による効果や、ネット上でも投げ銭の仕組みが整ってきた影響もあるのかもしれませんが「頑張ってくれた人に対価を支払う」ことが一般化してきたような気もします。

ほんの小さな草の根の活動ですが、こんなところからでも経済を回すお手伝いができれば良いなと思う次第です。

ではでは今日はこのへんで。