こんにちは、らくからちゃです。
年末年始は例年以上に冷え込むとの予報が出ていますが、ネットの世界も寒くなる一方ですな。
ぶっちゃけアクセサリーなんて奮発してカルティエで買った婚約指輪以外は、大学生の頃、当時高校生の妻にBLOOMのペアリングしか買ったことが無い身なので、もはやクリスマスの好例行事となった4℃がネタにされている光景を
- クソッ! 何度タイムリープしても4℃がディスられちまう!
- 4℃ってもう冬の季語として認めてもええやろ
なんてツイートとセットで眺めていましたが、年々発火点が低くなってきている気がしますね。
だって今年燃えてたヤツって、ただの写真に「え・・・あの・・・」みたいなコメントが添えられているだけだったでしょう。
そこに「貰ったプレゼントを晒し上げるだなんて!!」だの「メーカーや他の人に失礼だと思わないのか!!」だの絡んでたけど、むしろ晒し上げるような失礼なことするほどのことかねえと思うのよね。
贈ってきた相手を名指ししているワケでもなければ、アカウントの性質上、相手が見ているとも思えない。別にメーカーや他の人をも含んで揶揄しているわけではなく、後ろについてたツイートを見ても、ただただ not for meだとしか言っとらんわけです。
このツイートで元ツイ主が誰を傷つけたかというと、直接は誰にも何も言ってないんです。なんつーか"匂わせ"はしたかもしたけど、それだって方向性が明確な何かではない。みんなが「書いていないこと」を一生懸命読み取って、火を焚いている姿は、なんだか滑稽でもあり気持ち悪さも感じた次第です。
ただね。直接の被害者(だと感じた人)やその周りの人が怒るのは分かる。でも、全く無関係な人の「人の気持ちも分からないなんて可哀想。。。」「そんなんだから結婚できないんだよwww」みたいな"嘲り"が目立つんですよ。
「怒り」は分かる。そういう行為をされると、迷惑だからやめて欲しい。その理解や認識が正しいかはさておき、その感情を抱く動機や目的も分かりやすい。一方で「嘲り」を行う心理はもっと複雑なものでしょう。
相手より優位に立っていることを確認して幸せを確かめたい場合もあるのかもしれないし、ある種の心の運動みたいなのなのかもしれないし、単にストレス解消が目当てかもしれない。
「怒りは貧困層最大の娯楽」みたいな言い回しを見たことあるけど、「怒る」ほど酷い環境に無い人達も、ここ最近の話題になった何かを見ていると、嘲り笑える何かが無いか、わざわざ重箱の隅をほじくり返してでも見つけ出してきて「○○も知らないとかw」「ほんと✗✗は可哀想。。。」みたいに言い残す光景をよく見るようになった気がします。だったら「嘲りは中間層最大の娯楽」なのかもしれない。
SNSやブログ等で発信する場合は、全集中の呼吸で書かないと、あっという間に火柱が上がります。
たぶんこの記事をここまで読んできた人でも
- その話と例のアクセサリーの話を絡めるのは無理筋じゃない
- そういう風に増えたことを示す根拠はあるのか
- 貧困層・中間層の定義はどうなってるんだ
- 嘲りって・・・マウンティングで十分じゃん
- 最初のペアリングの下りいる?
- つーかこの記事タイトル自体がある種の嘲りよねえ
みたいなツッコミポイントを探しているひとも多いのかもしれない。文章を書くにあたって周囲への配慮は大事だと思うけど、もう地雷が無いか探すのも面倒くさいし、逆に適度に燃えるようにガソリンをまいておくのも億劫だし、ブービートラップをしかけて楽しむのも、なんだか飽きちゃったんだよなあ。
相手にどう思われるのか、自分の意図しない方向に炎上していかないか。そんなことを心配するのも、結局、書き手自身が「嘲り」の感情を持っているからなんでしょうね。
そういった気持ちを抱えながら文章を書いていると、最初はたまったなにかを吐き出せて気持ちいいんですよ。ただ溜まった毒を吐き出していたはずが、気がついたら毒を自家生産するようになってたりするんだよね。で、結局疲れるだけになっちゃう。
そうしたことを考えながら、SNSでもブログでも他人の過剰な関心を持つよりも、もう少し自分自身が何を考えているのかにちゃんと向き合っていかねばなあなんて思うんですよ。好き好んで書いてるんだから、もっと楽しくやらないと。
来年は、そこんところも考えた上で、もう少し幸せな気分で好き放題書いていこうと思うので、よろしければお付き合いくださいませ。
ではでは、今日はこのへんで。