ゆとりずむ

東京で働く意識低い系ITコンサル(見習)。金融、時事、節約、会計等々のネタを呟きます。

『コロナよりも経済苦で人が死ぬ』という言葉に感じる幾つかのこと

一部地域では、緊急事態宣言の解除は出たものの、未だに多くの街は静まり返っている。幸い新規感染者数は減りつつあるものの、まだ街に賑わいが戻る見通しがついていない地域のほうが多いだろう。

街から灯火が消える前に『このままではコロナに感染して死ぬ人よりも、経済苦から自ら命を絶つ人の方が大きくなってしまう』との言葉を様々な方面から耳にした。その第一回目の答え合わせが、つい先日行われた。

 先月の全国の自殺者数が前の年に比べおよそ20%減ったことが、厚生労働省などのまとめでわかりました。

 厚労省などによりますと、先月の全国の自殺者数は前の年の同じ月に比べ359人少ない1455人で、19.8%減ったことがわかりました。少なくとも最近5年間では最も大きな減少幅だということです。

 新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、家族ら同居する人が外出せず家にいることや、職場や学校に行く機会が減り、悩むことが少なかったことなどが要因とみられています。

4月の自殺者数、前年比約20%減|TBS NEWS

「悩むことが少なかった」なんて随分と簡素な分析に、疑念を抱かずには居られないひとも多いと思うが、幸いにして結果は前年比2割減の結果。4月の単月の数値であり、これで結論が出せるものでもなければ、失われた沢山の人の命がある以上、決して軽々しく扱うことは許されない数値だが、それでも減少という結果は素直に嬉しい。

しかし、なぜ多くの人の予想に反する結果となったのだろうか。

人は何故自ら死を選ぶのか

今回の経済危機は、リーマンショック超えだと言われている。ではリーマンショック当時に自殺者はどの程度増えたのだろうか。リーマン・ブラザーズが破産したのは2008年、平成20年のことだ。

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(出典:自殺対策白書(本体)|厚生労働省

自殺対策白書を見ると、2003年の40人をピークに、2009年までは横ばい、そこからは明確に下落傾向にある。その要因を考えるために、動機別の自殺者数を見てみると、経済・生活問題は一時的な増加を見せているが、同項目は一位の健康問題にダブルスコア近くあけられている。

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元より経済問題で死ぬ人よりも、健康問題で死ぬ人の方が母数は多い。しかしこの「健康問題での自殺」とはどのようなものだろうか。余命数ヶ月と知り人生を悲観して死を選ぶような人がそれほど多いのだろうか。

この「健康問題」というのは、その2/3近くが精神疾患によるものだ。彼らは、通常の人よりも自ら死を選んでしまうリスクが高い。

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まだデータは出揃っていないので、憶測の域を過ぎないが、今回自殺者数の総数が減ったのは精神疾患者の自殺数減少が大きいのではなかろうか。リモートワークや外出自粛が広がったことは、家族の目が行き届きやすくなり、自殺を食い止める効果は強かったのかもしれない。

もちろん個別に見ていけば、経済苦を理由として命を絶ってしまった人もいるのだろう。自殺者数と失業率については、古くから分析が行われているテーマで、有意な関連性が示唆されている。ただ同時に、行政や法制度での支援も拡充されており、その一定の効果も出ていることも考えられる。

自殺に関する分析は、数ある統計の中でも最も難しい部類に入る。そもそも自殺の動機なんて本人にだって説明することは難しいケースも多いだろう。

事故で障害を負い収入が激減した人が、当初は支え合っていこうとしていた恋人と関係がうまくいかなくなり何もかも絶望して死を選んだ場合、これは健康問題だろうか?経済問題だろうか?それとも男女問題なのだろうか?

また保険金を受け取るために事故に見せかけた例や、遺族が外聞のために動機を秘匿するような例だって少なくないだろう。非常に複合的な要素を持ち、様々な観点からの分析も有り、素人が扱うのは大変困難だ。

「コロナよりも経済苦で死ぬ」という人は、暗に両者を天秤にかけることを要求している。しかし経済苦で死ぬ人の数を図ることは出来るのだろうか。

もう一つの選択肢

もちろん、分からないからと言って命を絶とうとしている人を黙って眺めているわけにはならない。

ひとは色んな理由で自ら死を選ぶ。失恋をしても、受験に失敗しても、家族を失っても死を選ぶ。でも単純に「お金がない」というだけの理由で死を選ぶ人は殆ど居ないだろう。

単純に金が無くて死のうとしている人を止めるのは、モテなさすぎて死のうとしている人を止めるよりもずっとシンプルだ。誰かが金を渡せば良い。

そういや、トロッコ問題に引っ掛けてこんな図が流行した。

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市民も経済もどちらも助からない。と言いたいのだと思うが、これから我々に迫られるのは、トロッコの行き先をどちらにするのかよりも、もっとグロテスクで趣味の悪い問いだ。

いま目の前に、無数の何の罪もないのに処刑されようとしている人たちがいる。一人あたり10万円払えば、彼らを釈放することが出来る。さてあなたは、いくら払って誰を助けますか?

と。トロッコ問題は、現実世界に当てはめるためにはいくつか欠けている重要な要素がある。

現実世界での意思決定は、シンプルな二択ではなく、ある程度の幅を含んだものになるケースが多い。また、あなたは第三者ではなく、利害関係のある当事者である場合が大半である。そして、選択肢が本当にそれだけなのかはしっかりと考えなければならない。

本来あるべき問いは「コロナで死ぬか、経済苦で死ぬか、それとも誰かが金を出すか」なんじゃなかろうか。

しかし3つ目の選択肢は、きちんとした対処をしなければ、それこそ経済に致命的なダメージを与えることに繋がりかねない。

経済が死ぬってどういうこと?

そもそも経済が死ぬってどういうことだろうか。

社会リソースをコロナ対策に回すということは、その分得られたはずの国内総生産を失うことになる。そして対処を誤れば、経済規模を数年前に逆戻りさせることにもなる。

古来、人類は生きるために必要なモノを得るために労働を行っていた。しかし十分に食べられるだけ社会が豊かになると、余剰となった人材は、料理人になり、教師になり、踊り子になり、より人生の喜びを生み出すために働くようになった。

その多くが「不要不急」としてストップされ、豊かな人生を追い求めることはできなくなった。

経済活動が止められれば、人間は生物としては生きていても、経済的には死んだも同然である。ずっと目的もなく家に引きこもっているしか無いのであれば、それは寿命がその分縮んだのと何が違うのだろうか。

なにも道楽にかけられる時間がなくなったというだけではない。失われたのは、例えば通勤時間を大幅に短縮するための工事だったり、生活の質を豊かにするための薬の開発だったり、不幸な事故を予防するためのシステムの開発だったりするのかもしれない。

経済が死ぬというのは、単に自殺者数が増えるといった次元の話ではない。生きた時間そのものは変わらなくとも、その中で得られる価値が奪われるケースもあるということだ。

故に、経済が傷つかぬように最新の注意を払う必要がある。しかし我々の社会は、感染者数が増えたり、経済苦で自殺者が増えるようなことは決して認めないし、それを認めると、結局社会不安が増大して大きく経済が傷つく。

穿った見方かもしれないが「コロナで死ぬか、経済苦で死ぬか」という二択は、安全に生き延びられる自信とそこそこの資産や所得のある層が、もう一つの選択肢を最初から議論させないために言っているのではないだろうか。知らない人の命よりは、自分の金のほうが大事だと考えること自体は、不思議でもなんでもない。

しかしそう思うのと、口にだすのはまた別の話だろう。

経済苦で死ななければならない社会はおかしい

1986年、とあるアイドルが飛び降りで自ら命を絶った。同年は前後の年に比べて同年代の自殺者は3割も増加した。

ウェルテル効果といわれるが、著名人の自殺は、後追い自殺を招く可能性がある。またその行為が直接の原因とならなくとも、印象が強く残るような場合、それは他者の行動にも影響を与えかねない。

そういった自殺の連鎖を防ぐために、WHOではガイドラインを作ってマスメディアにも意識することを求めている。

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WHO 自殺予防 メディア関係者のための手引き(2008年改訂版日本語版)

『コロナよりも経済苦で人が死ぬ』と言っていた人たちは、果たしてこのことをどの程度意識していただろうか。我々には表現の自由もある。事実を捻じ曲げるわけにもいかないし、誤った道を進もことを止めるためには声をあげる必要もあるだろう。

しかしそれは世の中への影響を充分に考慮した上で行われるべきだ。

「経済が悪化すれば人が死ぬ」というような発言を繰り返されれば、暗に「この状況下であれば自殺者数が増えるのは当然である」と、自殺を唆すことには繋がらないか。自殺者数が増えても已むを得まいという風潮の形勢に加担していないか。それは十分に考えなければならない。

我々には、経済の衰退やそこから引き起こされる生活環境の悪化を懸念する権利はある。だかそこで、敢えて「自殺者数の増加」を連呼する必要はあるのだろうか。例えば「生活保護」とか「自己破産」とか、そういうキーワードではなく、なぜ「自殺者数」を選ぶのか。

確かに自殺者数の増加は、耳目を集めるテーマである。古来より、処刑が庶民の歓心を集める手段であったように、一部の人々には、死は最大のエンターテイメントなんだろう。

一方で、自殺に関する発言の増加は、自殺者数そのものを増大させるリスクがある。そのリスクを取ってまで行うべき発言なのだろうか。もっと他に選ぶことの出来る表現方法はなかったのだろうか。

本気で心配していたのならばまだしも、インパクトの強い単語を使って注目を集めるか、自説を通す裏付けとして利用しようとしているかのようなインフルエンサーも何人か目にしてきた。

安易に「自殺者数が増える」なんて口にしていたとするのであれば、それは大きな間違いなんじゃないだろうか。

少なくとも私からいま言えるのは、リーマンショックのときですら、10万人あたり40人程度しか自殺者は出ていない。これは決して少ない数字ではないが0.04%、2500人に一人だ。しかもその全てが、経済苦というわけではない。

これが励ましになるかどうかはわからないが、経済苦を理由に自殺するのは、よくある普通の話ではなく、非常に特殊なケースであなた一人だけが損をしている可能性が高い。ということだ。

感染拡大の当初であれば、みな「被害を最小化する」という方向性で団結できただろう。だが一段落すれば「誰が後片付けを負担するのか」という点について合意を取るのが非常に難しい。

しかし我々は「経済苦で人が死ぬのはおかしい」という点については一致団結できるだろう。幸いにして経済活動の多くがストップしているため、良いことも悪いことも止まっている。本当に怖いのは、緊急事態宣言が解除され、社会が動き始めたころだろう。

そして改めて、自殺という事象は、経済問題以外のところでも多く起きていることは忘れてはならない。長期化する自粛や休校の中で、DVや家庭内の問題が深刻化しているケースも多いだろう。通院や検査が出来なかった分、健康への問題も増加することも予想される。

厚生労働省では、様々なケースに対応できるように、多種多様な窓口のリストを整理している。

LINEやチャットでの相談先も多数ある。

何か社会に対して発信するべきことがあるとすれば、安易に「自殺者が増えるぞ」と連呼するよりも、こうした窓口について伝えていくことなんじゃないだろうか。そう思う次第である。

 

らくからちゃ