ゆとりずむ

東京で働く意識低い系ITコンサル(見習)。金融、時事、節約、会計等々のネタを呟きます。

「リア充」かどうかが生存戦略にとって決定的に重要な時代

こんにちは、らくからちゃです。

体調も戻ってきたので、積読してたRSSの新着通知をシコシコ消化しております。で、ふと気になったのがこちらの記事。

delete-all.hatenablog.com

p-shirokuma.hatenadiary.com

私ももう今年で32歳ですので、いい加減若者ヅラするのは厳しいお年頃ですが、大先輩の語る「若者像」というのが、なんだか当事者たちの見ている世界観からは少しだけ遠い気がして、歯の間に挟まった晩ごはんみたいな違和感を覚えちゃうんですよね。

総論として、特にこれといって新しい話をするわけでも、新規のエビデンスもあるわけでもありませんが、私の見聞きしてきた範囲の中で、もう少しだけ低めの年齢層の側の人間から「多分こういうことなんじゃね?」と解釈したことを無根拠に並べてみたいと思います。

**

今の多くの若者は、何を求めて生きているのか

社長になって何千人もの社員を動かしたり、世界を変えるような技術を開発したり、政治家になり世の中を変えたいと思っているような「何者かになることを」を目指し、大きな成功を求めているひとと出くわすことはあまり多くありません。

じゃあみんな何を求めているのかというと、多くの若者が「リア充」になりたいんじゃないのかなあと思う節は多々あります。

リア充という言葉が意味するものに対するイメージ像は人それぞれだと思いますけど、ざっくりまとめると

  1. 激務ではなく諸々安定した会社で働いている
  2. 一緒に遊びにいけ何でも相談できる友達がいる
  3. 打ち込める趣味を持っている
  4. パートナーがいる

ってな感じでしょうか。「志が低い」「そんなもん昔から誰だってそうだよ」なんて声が聞こえてきそうですけどね。

そりゃまあそう見られるのも当然なのかもしれませんし、昔のことについては直接体験しちゃいなので伝聞で判断するしかないんですけども、以前よりずっと、リア充かどうかが若者の生存戦略にとって決定的になっているんじゃないかなあと思うんですよ。

 **

社会の構造は年々複雑さを増しており、学ぶべきことはどんどん増えています。だからこそ「必死になって成長」しようとすると、文字通り必ず死にます。

生き延びるために大事なことは「何を学ぶべきか」「どう効率的に学ぶべきか」をしっかりと抑えることです。そのために最も大切なのは、適切に導いてくれたり、過去の失敗体験を教えてくれたり、いろんな情報交換ができる仲間の存在です。

 

かつてであれば、会社の上司や先輩が指導してくれたのかもしれません。しかし指導できるほどの経験がなかったり、そもそも相手をしている時間的な余裕がなかったりすることが殆どです。

以前、こんな記事を書きました。

www.yutorism.jp

もちろんインターネット上には、優良なコンテンツが山のように転がっています。でもその中から、個々人の求めているものに合わせて、何を学ぶべきなのかを判断するのは素人には骨の折れる話です。そもそも勉強以前に「そんなものがあるのか!」と知ることが最大の難所だったりもします。

実際に「うまくやっている若者」たちを見ると、能動的にネットから情報を引き出せるかだけでなく、受動的にリアルで情報が得られるかどうかが、大きな差別化のポイントになっているように見受けられます。

**

そしてシロクマ先生も指摘していますけど、学んだことは積極的に発信していくことは重要です。そうしないと、学んだことを活かす機会も与えられず、ただ苦労だけした自己満足で終わってしまいます。

でも「頑張っているキャラクター」をアピールするだけで評価されるほど、いまの若者を取り巻く環境は甘っちょろくありません。実際に「どの程度のレベルなのか」「どんな問題を解決できるのか」を具体的に示し、信頼を勝ち得ないと「意識高い系」とみなされ、嘲笑の対象に収まるだけです。

友人が、新入社員研修でやたら成績の良い一群を観察していたところ「分からないは何でも友達にLINEで聞く」という行動様式をとっていて、最近の若い子はすげえなあと言った話を聞いたことがあります。

これって教えている側は一方的に損をしているように見えるんですけど、実はそうじゃなかったりもするんですよね。「その分野において自分は知識を持っている。そしてあなたを助ける能力がある。」というアピールにつながるんですよね。

この手のコネクションを保つと、多くの情報が入ってきやすくなり、有利な選択肢をとるチャンスを増やせます。例えば、「これってもしかして、君のところに関係あったりする?」と最新の情報を得られやすくなったり、会社が傾いてきたときに「じゃあうちに来いよ」と誘って貰えて生き延びられる確率も幾分か上がります。

ですので会社の上司や先輩にも理解して貰うに越したことはありませんけど、お気持ち程度にお賃金が増えたり、つまんない仕事の量が増えたりと、たいしてありがたみはありません。それ以上にもっと別の相手に知ってもらうことが大切だったりします。

加えていてば、これだけ仕事も細分化されてくると、自身が"Know-How"が持っていることより、誰がそれを持っているのかを"Know-Who"していることの重要性は、過去よりもずっと高まっています。

それも「その件は○○さんが詳しいのは誰でも知っている」というレベルではなく、蜜なコミュニケーションをとって深いレベルで聞いた話の中から可能性を見つけたり、コミュニティ(例えば違う部署とかでも)の外の人のことに関することだったりもします。

学生時代に学んでいたネットワーク科学の世界では、マーク・グラノヴェッターによる転職の研究、「弱い紐帯の強さ」という有名な話があります。

転職を決めるのに利用した情報を調べてみたか調べたところ、普段よく接するひとよりも、接点の少ない人のほうが決め手となることが多かった。新しい何かを生み出す突破口になる情報は、いつも顔を突き合わせている相手ではなく、別のコミュニティに属している相手から得られる可能性が高いことを示唆する研究です。

社会が複雑化していく中で、「リア友」が、「弱い紐帯」になる可能性って、結構上がってるんじゃねーのとも思うんですよね。

**

どんな会社でも"偉い人"を見ていると、社外にも幅広い人脈を持っており、効率的に仕事を進められるコネクションを保っている人が多いので、こうした話は昔から会社員として成功するために必要な要素であったことは間違いないでしょう。以前と違う点は、こうした話が一般労働者の生存戦略レベルでの必要性が高まっていることです。

いまの20代の若者には、仕事にうつつを抜かすほどの余裕はありません。

交友関係というものは、きちんと種を植えて水をまいていないとすぐに枯れていってしまいます。打ち込める趣味があるというのは、外部のコミュニティへ交友関係を広げるのにも役に立ちますけど、身近な相手とも「ゴールデンウィークにこんなところに遊びに行ったんだ」と会話をするのにも役立ちます。無趣味なひととの会話は往々にして苦痛にしかなるケースが多いですしね。

また婚姻関係にあるかどうかは問わず、一緒に生活をするパートナーの有無も大きな差に繋がりがちです。

共働きが多数派の時代ですので、パートナーが入れば単純に世帯所得は倍になります。経済的な余裕が増えれば、リスクも減り、チャレンジできる機会も増えます。しかしそれ以上に重要なのが、パートナーの存在を通して相手の築いてきたコネクション活用できたり、興味関心の幅を広げられることです。

これまた過去にこんな記事を書きました。

www.yutorism.jp

さらに言えば、子供のいるひとを見ていると、パパ友・ママ友や学校や地域社会との接点を、実際の仕事の中でも活かしているひとを割りと見るようになってきました。

「リア充」というのは、多くの人が目指すべき「結果」であると同時に「原因」でもあります。つまりループします。

仕事が忙しすぎて、交友関係は枯れ果て、趣味に誘ってくれる友人もいなくなり、そんな状況だからパートナーも見つからない。で、環境を変えるチャンスも得られなくなり、ますます会社への依存度が高まる。そうした「非リアサイクル」に入ってしまうと、中々抜け出せなくなっちゃうんですよね。

そうした現代社会の構図に気がついている若者は、その罠に捕まらないように、しっかり考えて行動しているんですけども、残念ながらそれに気が付かない人も多く、ブラック企業による搾取の苗床になってんなーと思うことが稀によくあります。

もちろん何かに一生懸命に打ち込んで何かを成し遂げようとするひとは素晴らしいと思います。でもそうした場合であっても「リア充」であることによって、効率性や成功確率が大幅に改善されたケースを見てきました。

そのへんも踏まえて「がんばりかた」というのは、ちゃんと考えねばならないなーと思う今日このごろです。