街を歩いていると、小さな子どもの声がした。
イライラしたお母さん。子供の手を掴んで引きずるように歩いている。
『そんなに強く引っ張ったら、肩が外れちゃいますよ。』
何度も言おうとしたけれど、中々声が掛けられず。
育児の方針かもしれない。余計な口出しはしないほうがいい。
そんな言葉でごまかした。でもあの時どうしても言いたかった。
『子供と大人は歩幅が違う。同じ速度じゃ歩けないよ』と。
知らない人に何かを言うタイミングは難しい。
帰り道に起こった車両トラブル。
幸い、帰宅する下り電車は動いてる。
たまたま居た駅が、折り返し運転の折り返し点。
乗り込んだのは、上り電車が止まるホームに止まった、今日だけの下り電車。
やれやれ助かった。
そう思いながら本を読んでいると、隣に座ったのは知らない女性の二人組。
『良かった、動いているみたいだね。』
薄っすら聞き耳立てていると、上り方面に向かいたいみたい。
でも違う。この電車は今日だけ特別下り電車。
何度か言おうとしたけれど、なんだか盗み聞きしていたみたいで言い出せず。
この二人、目的の場所へ向かわないことに気がついたのは、電車が動く少し前。
列車から慌てて降りる二人の姿。言ってあげればよかったなあと、また後悔。
電車に乗っていると、ふと知らない人の会話が耳に入ってくる。
『お母さん、トイレ!』元気に響く女の子の声。
おろおろ慌てるお母さん。『降りたらすぐに行こうね』と。
電車は新橋出たところ。隣の品川までは長い。ついてからもきっと長い。
この電車には、トイレがちゃんとついている。だけどそのことは知らないみたい。
『あれ、誰も言わないの?』周囲の人は、皆黙々と自分の作業に向かう。
あんまり自信は無かっかたから、先頭車両まで急いで行って、トイレがあるのを再確認。
『お母さん、総武線快速は一番前の車両にトイレが有りますよ』
戻ってそう一言伝えると、軽い会釈の後、お子さんを抱き上げて先頭車両に向かっていった。
たった一言、伝えることができたなら。
それが小さなことだとしても、世の中少し明るくなる。
引きずられるように、引っ張られているのは子供だけじゃない。
『先輩、そんな無理にやらせようと思っても、彼にはまだ難しいですよ』
会社の中でもよくある景色。
『自分でやってみることが大事』
『自ら積極的に行動するべき』
『自分のアタマで考えよう』
そんな言葉がこだまする。勿論その言葉に嘘はない。
だけど、ときたま思うのは、そんなに強く引っ張って、引きずってでも連れていくのか、それとも途中で背負っていくのか、はたまたその場に置き去りか。
誰だって、最初は出来ない頃がある。
自分が通った頃よりも、少しだけでも歩きやすく。
そのために必要なのは、歩幅を合わせて一緒に歩くこと。
もっと楽しく、興味がなくとも分かりやすく。
大事なことは、ただそれだけ。
『どこでつまっているのか気がつけた』
『自分にも理解できた』
『もっと、知りたい』
そう思わせることが出来た頃には、自分の前を歩んでる。
決して出来る方ではなかったと思う。
出来なかったからこそ、出来ることがある。
藍よりずっと青くなれ。そして、次にも繋いでいけ。
人間ひとりじゃ生きていけない。
一緒に生きていくのなら、みんなが楽しいほうがいい。
一人で抱えて苦しむよりも、みんなで一緒に考えよう。
目線合わせて歩いてみたら、知らない何かも見えてくる。
だから、今日も、明日も、明後日も。
同じ歩幅で歩いて行こう。
Claude Lorrain (1600-1682)
The Sermon on the Mount, ca. 1656