ゆとりずむ

東京で働く意識低い系ITコンサル(見習)。金融、時事、節約、会計等々のネタを呟きます。

民主主義の基本はいかに『多数決』をしないかだと思うんだよね

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こんにちは、らくからちゃです。

いつもどおり、通勤電車でぼけーっとtwitterを眺めていると、こんなものが流れてきました。

なんじゃこりゃ、と思ってみていると元ネタになっているのはとある弁護士さんの発言みたいですね。

安保法制は強行採決されるのか。緊迫の夜が続いている。15日横浜で行われた公聴会で公述人のひとり、水上貴央弁護士は安保法案には憲法9条に反する重大な欠陥があると指摘。こんな状態の法案を通してしまうことは「単なる多数決主義であって、民主主義ではない」と語った。

 これを受けて、一部のネット住民は大盛り上がりになったみたいです。

この水上氏の「多数決主義は民主主義ではない」という言葉に、ネット上では批判の声が飛び交っている。「多数決は民主主義の基本じゃないの?」「多数決じゃなかったらどうやって決めるの?」「頭大丈夫?」「馬鹿じゃねえの!」......。

 

 

 

( ´゚д゚`)エー

 

 

 

 

多数決は民主主義の決定プロセスの『ひとつ』であって『すべて』ではないって、確か小学校の授業で習った気がするんだけどなあ。学校によって違いがあるんですかね?

多数決が民主主義では無いとすれば民主主義とは何なのか

 まずはそもそも民主主義って何だっけな?ということを考えてみたいと思うのですが、ちょっとサボってWikipediaの内容をそのまま引用させて頂きますと、下記の通りとなります。

民主主義(みんしゅしゅぎ、デモクラシー、英語: democracy)とは、国家や集団の権力者が構成員の全員であり、その意思決定は構成員の合意により行う体制・政体を指す。日本語では特に政体を指す場合は民主政(みんしゅせい)とも訳される。日本語の広義の「民主主義(みんしゅしゅぎ)」は上記の体制・政体をも指すが、狭義ではこの民主制・民主政を他の制度より重んじる主義(思想・運動)を言う「=民主制主義」。

民主主義 - Wikipedia

意思決定を、みんなの『合意』によって決めることを『民主主義』って言うんですね。『その合意を取る方法は多数決しかないじゃないか』というようなことを言いたいんだと思うんですけど、そこが根本的に間違っていると思います。

敢えて、語弊を恐れずにいうと、民主主義の基本は『全会一致』だと思います。つまり、みんなが『これなら受け入れられる』という案を作るために知恵を出し合い、それでもどうしても意見の取りまとめが出来ないときだけ『多数決』という伝家の宝刀を抜くというのが、本来の民主主義の姿だと思うんですね。

民主的な意思決定とは

こんな話は、小学校の授業で『ぎろんのしかた』とかそういった内容でやったような気もするのですが、民主主義の基本的なプロセスって

  1. 論点の設定
  2. 参加者の招集
  3. 参加者発言
  4. 情報の整理
  5. 意見の集約
  6. 全員で可決

となるものだと思っていたんですけど、違うんですかね?民主的な意思決定において、重要なことは

  • 多数の人が参加して決定すること
  • 参加者に十分な量・精度の情報が与えられること
  • 議論の上、全体最適かつ個人の被害が最小化される案が作られること
  • 参加者が十分理解納得の上、合意ができること

じゃなかったんでしたっけ。多数決というのは、抜けば必ず誰か傷を負うことになる伝家の宝刀です。よく、就職活動の『グループディスカッション』で『多数決は絶対に駄目』というのはそういうことなんですね。つまり、『多数決』をしなきゃいけないのは、議論が失敗したことを意味し、『上手に議論をする才能の無い人達だった』ということの証明にしかならないからです。

多数決では組織を維持できなくなる

ちょっと昔の話になりますが、『会社は株主のものである』か否かというような言説が盛り上がっていた時期がありました。確かに、会社の最高意思決定機関は『株主総会』であり、会社の方針や利益の処分を決定する方針は株主にあります。

だからといって株主がなんでも出来るのかといえば、そうではないんですよね。会社で働いている従業員の協力なしには会社は存続し得ないし、商品を誰も買ってくれないようになれば利益は発生しません。とある社長さんが、『取締役とは、資金の提供元・原料労働力の調達元・商品の販売先の利害関係を調整し、付加価値を創造する機関である。つまり、配当・賃金・価格の最適なバランスを取ることがお仕事。』といっていましたが、制度上は誰が上で誰が下っていうものがあったとしても、利害が相互に依存するため、誰かが権利を振りかざすとみんなの利益が損なわれちゃうんですよね。

民主主義っていうのも、本来そういうもので、『最後は多数決にならざるを得ない時』というものは存在するけれど、より多くの人とより詳細な議論を行い、お互いの妥協点を探りながら、じっくり『みんなにとっての最適解』を探っていくプロセスなんですね。少数派を『数の力』で排除していくのであれば、結局それは『多数派』と『少数派』の間に溝を深めていくことになり、社会の分断を深める結果になります。なので、時間をかけてもみんなが納得できる方法を探していくしか無いんですね。

多数決っていうのは、十分な参加者・時間をかけて議論を行った上で、それでもなお残った一部の少数派が結論の形成を除外している時のみ使うべきものであって、『基本』というのはちょっと違うんじゃねえの?と思う今日このごろで御座います。

今回のケースがどんなものだったのか、わたしにはまだきちんと評価が出来ていないので、その件についてはよく分かりません。でも、『民主主義の基本は多数決』なんていう人がたくさんいるのであれば、社会の効率性を下げる要因にならないのかなあと、ふと余計な心配をしてしまいますね。

 こんな本も読んでみると面白いかもしれませんよ。きっと、本当に読んでもらいたい人には届かないんだろうけどなあ・・・。

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

 

ではでは、今日はこのへんで。

追記

lacucaracha.hatenablog.com