ゆとりずむ

東京で働く意識低い系ITコンサル(見習)。金融、時事、節約、会計等々のネタを呟きます。

世界を変えた『箱』の物語

こんにちは、らくからちゃです。

 

夏風邪をひき、今日は一日お休みを頂いておりました。ε=ε=ε(′д`||)ゴホゴホッ(||′д`)з=з=з
ところで皆さん、今年はもう、海に行きましたか?わたしはこんな体調なので、暫くは遊びに行かず、おうちで本でも読んでようと思うのですが、折角なので、海に関する本が読みたいですね。

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地元愛を主張(笑)

わたし、基本的に飽き性なので、一度読んだ本を何度も読み返すことはほとんど有りません。ただ、何冊か『何度でも読み返したい』本が有ります。今日は、そんな本の中から、海に行くのであればぴったりの、一冊をご紹介したいと思います。こちらです。 

コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった

コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった

 

 

この本をおすすめする人

  • 全く新しいビジネスモデルの作り方に興味のある人
  • 技術革新が社会に与える影響について興味のある人
  • 産業構造と経済立地の影響について興味のある人
  • デファクトスタンダードの形成について興味のある人

かな!あと、安っぽい『ノウハウもの』や、地に足がつかない教科書的な『ビジネス書』に辟易している人にもいいかもしれません。ノンフィクションですが、物語としても楽しめますので、『ストーリーとしての競争戦略』とかが好きな人にもいいと思います。また、経済・経営について扱った本ではありますが、歴史や科学としても楽しめますので、その辺りの洋書翻訳物が好きな人にも良いかも。

ちなみに、ビル・ゲイツ氏が選ぶ「2013年に読んだ記憶に残る7冊の本」の一冊でも有ります。

ビジネス書の紹介のいいところは、どこまでお話しても『ネタバレ』にはならないことですね。今日は本書の重要なポイントを掻い摘んでご説明致します。ただ、端から端まで『濃い』一冊なので、『まとめ』でご満足頂くより、実際に読んで貰ったほうがいいかも。

ではでは、はじまりはじまり〜。

世界を変えた『箱』

 さて皆さん、この記事のタイトル、世界を変えた『箱』の物語 と聞いて何を想像しました?えーっと、多分はてなの皆さんだったら、こういう物の話なのかなと思ったかもしれません。

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確かに、IT技術は世界の情報の処理速度ややり取りに係る時間を劇的に短縮し、世界をより小さくすることに成功しました。まさに、21世紀最大の発明と言ってもよいでしょう。でも、もうひとつ、皆さんの身近なところに重要な『箱』の発明があります。それがこちらです。

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え?何の冗談かって?コンテナ、ただの金属の箱じゃないかって?いやいやいやいや、実はこの『箱』の発明は、世界の物流に係るコストと時間を大きく削減し、『物流』の力で世界を変えた、影の立役者なのです。

コンテナがなかった時代

特に何もこれといった特徴のない、ただの『箱』にしか見えないコンテナが、どうして世界を変えることになったのでしょうか?そのことを理解するためには、コンテナが無かった時代について考えてみる必要があります。

コンテナ登場以前、船への荷物の積みおろしは人の手によって行われていました。その様子について、今回ご紹介する本の中に、当時の息遣いが聞こえてきそうな記載がありましたので、引用します。

荷主の工場または倉庫から、貨物は一個ずつトラックか鉄道で送り出される。トラックあるいは鉄道は、何百何千という貨物を港に運ぶ。港では、それをまた一個ずつ下ろし件数表に記録しなければならない。そのうえで貨物上屋に収める。貨物上屋というのは、貨物を仕分けするための倉庫埠頭である。
やがて船の準備が整うと、貨物はまた一個ずつ上屋から取り出され、数を確認したうえで、船側まで運ばれる。
この時点で埠頭はもう、段ボール箱やら木箱やら樽やらで足の踏み場もない。化学品の入ったスチール製の缶があるかと思えば、牛脂を詰めた容器があり、その横には綿布や皮革の梱があるという具合。
男二人がかりでようやく持ち上げられるようなばかに重い袋。きちんと梱包されていない木材。積み立てのオレンジの籠。オリーブの樽。ワイヤをただ巻いたもの・・・・・。
こうした雑多な荷物が『一般雑貨』の正体である。貨物はとぐろを巻くロープやケーブルの間でおとなしく積み込み作業を待つ。その間をフォークリフトや昔ながらの手押し車が忙しく行き来する。
出典:コンテナ物語 p32より(一部改行は引用者にて独自に行ったもの)

コンテナ登場以前、港への荷物の積み下ろしは、大きく困難を伴う作業でした。『大航海時代』なんかをプレイしていると、ちょっと矢印を操作するだけで荷物の積み下ろしが出来てしまいますが、その裏では沢山の港湾労働者の血と汗が流されていました。

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その仕事を行っていたのが、沖仲士と呼ばれる人たち。体力も必要ならば、身の危険もある仕事でした。しかし、仕事があるのは、船が来るときだけ。彼らは、正社員として雇わず、いわば皆『フリー』として働く事になります。そんな中、組織に属さない『沖仲士』同士のコミュニティが形成されてます。この仕事は、特別な教育を受けていなくてもできたため、やがて一家揃って沖仲仕という、排他的な世界がそこに生まれたのです。

さて、この当時海上輸送に掛かった『輸送費』は下記のようになっていたそうです。

シカゴからナンシー(フランス(に贈られた医薬品トラック一台分の運賃(1960年推定値)

 金額比率
工場から積出港までの陸上運賃 341ドル 14.3%
横持ち費用 95ドル 4.0%
荷役その他 1163ドル 48.7%
海上運賃 581ドル 24.4%
欧州での陸上運賃 206ドル 8.6%
合計 2,386ドル 100%

(American Association of Port Autority)
出典:コンテナ物語 p23より(青字は引用者にて独自に行ったもの)

 なんと、海上輸送に係る運賃そのものよりも、荷役にかかる運賃のほうが高くなっています。また、彼らの中には不届き者も多く、商品をこっそりすくねる者も多かったようで、輸送にかかる保険料も高額だったそうです。

マルコム・マクリーンの挑戦

こういった状況ですから、なんとか輸送に係るコストを減らすための取り組みは続けられて来ました。この当時から、『商品を規格化された箱に詰めて届ける』という構想はあったのですが、一部の商品だけをコンテナ化したところで、効率性は良く有りません。

そしてここに、アメリカの産んだ稀代の経営者、マルコム・マクリーンが登場します。

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彼の立身出世伝は、『トラック野郎』として始まります。1950年代のアメリカの物流業界は、数多くの規制に守られていました。そんな中、マクリーンは徹底的なコスト管理と、果敢な投資で営業戦略で事業を拡大します。彼は、経営者としても凄腕でしたが、現場を熟知したアイデアマンとしてもその能力をいかんなく発揮します。

1953年に閃いたのも、そうしたアイデアの一つである。当時マクリーンはハイウェイの渋滞が年々ひどくなるのに頭を悩ませ、また、政府からただ同然で払い下げ戦を買える沿岸海運会社がドラック運送のシェアを奪うのではないかと懸念していた。

そして閃いたのである。ー混雑した沿岸道路を走るぐらいなら、トレーラー毎船に載せて運べばいいじゃないか。その歳の冬には、もうマクリーンは具体的な案を練り上げていた。

出典:コンテナ物語 p66より(一部改行は引用者にて独自に行ったもの)

 そして彼は、次々と海運会社を買収します。その中には、アメリカ初のLBOとして行われた買収もありました。それは、後の『コンテナ革命』へと繋がる序章でした。

彼の凄いところですが、『コンテナ』という考え方そのものは以前より有りました。多くの人が失敗している中で、彼はビジネスセンスとアイデアをもってこの仕組みで成功を得ます。

『起業』を目指す人の中には、『そのアイデアは誰かが既に挑戦したものだ』とか『新しくない』と新しさにこだわる人が居ますが、勿体無いことです。誰かが既に失敗しているからこそ、何をしてはいけないのかが分かっているのですから、そこに、新たな何かを加えて成功への道を切り開けばいいのに・・・と思います。彼もまたそうした人物だったような気がします。

 標準化の形成

さて、この『コンテナ』という新しい仕組みを十二分に活かそうと思うと、一社の努力だけでは乗り越えられない問題に直面します。それは、『規格の統一』です。

現在、広く利用されている洋上コンテナの規格はこんなかんじだそうです。

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(参考:相互運輸株式会社 お役立ち情報(海上コンテナの寸法の目安))

中途半端なサイズだと、船に載せた時にきっちり収まりませんし、トラックに載せるにも固定させるフックなどの位置がばらばらだと効率が悪いんですね。また、『コンテナ』を利用するためには、港湾の設備も対応する必要があります。登場人物を整理すると・・・

  1. 港湾設備
  2. トラック・鉄道
  3. 荷主
  4. コンテナメーカー

などなどの意見が一致する必要がありました。この辺の『規格化』は、わたしの卒論のテーマだったので、結構楽しく読めました。 この辺の分野の『面白さ』については下記で是非!

この企画の統一、一筋縄では行きませんでした。まず、鉄道の設備等がアメリカや欧州では異なっていましたし、いざ『統一をしよう』と言い出したころには、各社が既に自前の『規格』を持っていましたので、そこに行った投資を無駄にはしたくなかったんですね。ちょっと古い話にはなりますが、ブルーレイとHD DVDとの競争とかを思い出して貰えればいいんじゃないかなあ。以下、規格統一の効果について述べた記述を引用させて頂きます。

紆余曲折はあったものの、なんとか規格はまとまります。これは、この業界に大きなメリットを産みました。

それでも1966年を境に、船もトラックも鉄道もコンテナ・メーカーも、そして政府機関も、次々に持ち上がる問題に上手く折り合いをつけながら規格品を導入するようになった。輸送産業に本格的な変化が到来する。

65年までは、バラバラのサイズ、バラバラの金具がコンテナリゼーションの発展を妨げていた。だが66年、サイズと隅金具がほぼ決まった時から、リース会社が大量のコンテナを注文し始める。そして、すぐに船会社を上回る数のコンテナを保有するようになった。

シーランドはそれでもまだ35フィート・コンテナを使い続けたが、マトソンは徐々に24フィートを減らしていく。世界中の他の船会社は、すべて規格コンテナを使い始めた。カンザスシティで貨物を詰めたコンテナをトラックや鉄道や船の間でスムーズに受け渡し、クアラルンプールまで運ぶーそれが夢ではなくなったのである。

国際コンテナ輸送がいよいよ現実味を帯びてきた。

出典:コンテナ物語 p199より(一部改行は引用者にて独自に行ったもの)

また、コンテナ輸送の有用性は、『ベトナム戦争』を機に、大きく理解されます。何時の時代も『兵站』が戦争において重要なことには違い有りません。コンテナ輸送は、米軍という巨大な荷主を得て、一躍国際物流の主役に踊り出ます。

 産業立地の変化

コンテナの登場は、地域の産業戦略についても大きな革新を生み出すことになります。

コンテナ登場前、港湾都市には大きく2つの『成長の為の武器』がありました。

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ひとつは需要面。船の荷役など、物流業は労働集約型産業でした。そのため、港は多くの労働者によって支えられていました。港湾都市はそれ自身が大きな需要を持った都市であり、 活気のある街だったのです。もうひとつは供給面。荷役を含め、物流には大きなコストが掛かります。その為、可能な限り物流コストを減らすため、多くの製造業が集積する産業集積地でした。

その前提が、コンテナの登場によって崩れます。コンテナは、多くの労働力を必要としません。また、積み下ろしに係るコストは小さく、何も地価の高い都市に工場を置く必要はなかったのです。

長らく休眠状態にあった港が、熱狂的に拡張競争を繰り広げたのは、港を巡る経済事情ががらりと変わったからである。1960年には、地方経済を支えるのは製造業だというのが常識だった。港は港湾労働という直接的な雇用機会を創出するだけでなく、輸送上のメリットを餌に多くの製造業が誘致できるという点でも価値があると認められていた。

ところが早くも66年にシアトルの港湾当局者は、時代の空気が変わり始めたことを意識する。シアトル市そのものに産業がなくてもかまわないのだ。国際物流の中心地になってしまえばいい。そうなれば、人口が少ないことはハンデにならない。シアトルはワシントン州の田舎の港ではなく、アジアとアメリカ中西部を結ぶ輸送の中心地と位置づけるべきだ、そういう発想だった。

港湾プランナーのティン・リ・チョウは、正確に未来を予想して次のように書いている。「もはや輸送業は、生産と消費を結びつけるだけの他業種に依存した産業ではない。独立した産業として逆に生産と消費のあり方をきめるのが、輸送業である」。

ほとんど同じような内容の報告書が、同じ年にサンフランシスコ市にも提出されている。こちらを書いたのは、コンサルティング会社アーサー・D・リトルだった。サンフランシスコ港の現状に警鐘を鳴らす内容で、「卸売業、陸運業、倉庫業はいずれ対岸の港、つまりオークランドに移転してしまうだろう。市内の産業と港との距離が近いことは、もはやさしたるメリットではない」と結論づけている。

出典:コンテナ物語 p259より(一部改行は引用者にて独自に行ったもの)

ちなみに、コンテナがいかに急速に普及したのか、各港湾のコンテナ取扱量から見てみましょう。

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出典:http://www.mlit.go.jp/common/000228237.pdf

うーん。中国が上位を独占ってかんじですね。神戸港は、世界4位のコンテナ港だったこともあるんですけどねえ・・・。今となっては完全にランキング圏外。しかし順位だけ見てはいけません。取扱量は、しっかり1.76倍になっています。これは、「神戸港の凋落」とみるよりも、中国が世界の工場となった結果、とみたほうがいいのかもしれませんね。

世界の狭さと箱について

いかがでしょうか。この「箱」がどれだけ我々の生活に大きな影響をもたらしたのか、ちょっとだけご理解いただけたら幸いです。なお、もっと理解したい方は、是非こちらからどうぞ(笑)。

コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった

コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった

 

コンテナは世界と世界との距離を狭くした「一つの技術」です。そしてそれは、今日までつづく「グローバル化」の一つの重要な要素となったことは間違い有りません。しかし、グローバル化でどこまで人類が豊かになれるのか?はまた別の問題として考えなければなりません。TPPなどで、よりグルーバル化は進もうとしています。貿易が自由になるのは良いことですが、「低い賃金」「劣悪な労働環境」「長時間労働」で生み出された商品が、世界中で競争力を持つようになるのであれば、それはとても不幸なことです。

もし、海に行くことがあれば、是非コンテナ船を探してみてください。そして、その積み荷がどうやって作られ、運ばれてきたのか?そういったことに思いを馳せてみるのも良いかもしれません。

 ではでは、今日はこのへんで。

今週のお題「読書の夏」