こんにちは、らくからちゃです。
通勤中、ニュースサイトを見ていたところ、思わぬニュースが飛んできました。
任天堂の社長、岩田聡さんが55歳の若さで亡くなられました。
ソフトバンクの孫正義さんや、ユニクロの柳井正さんと比べると、一般的な知名度では余り高くない方だったかもしれませんが、その功績はあまりに大きく、偉大な経営者でした。
まずは、55年の太く、短い人生について、すこしだけ触れてみたいと思います。
天才技術者兼経営者
岩田さんが、天才技術者としての頭角を表したのは、高校生時代の頃。独学でプログラミングを学び、HPに完成物を送ったところ『日本にとんでもない奴が居るぞ!』と色々なものを贈られたそうです。
東工大進学後、当時の仲間たちと岩田さんは、『星のカービィ』シリーズで知られるHAL研究所を設立。同社が、経営危機に陥った際、任天堂の当時の社長である山内溥さんからの『支援の条件』として、若干34歳で社長として指名を受けます。
その後、40歳で任天堂取締役にヘッドハンティングされた後、50年にわたって任天堂の社長の座についてきた山内社長から42歳で任天堂の社長の指名を受けます。当時の社長就任には、周囲からも驚きの声を持って受け止められました。当時の、東洋経済の記事から、引用します。
2002/6/8号:最強の家計学 24~24ページ より
かねてから退任を明言していた任天堂の山内溥社長(社長在任五二年余、七四歳)が5月24日、正式に後任人事を発表した。31日付で自らは取締役相談役に退き、後継社長に岩田聡・取締役経営企画室長(四二歳)を指名。大胆な若返りとともに、代表取締役を従来の四人から六人に増やし、岩田氏を“調整役”とする「集団指導体制」への経営転換を明確に打ち出した。
(中略)
それに対し、岩田氏はゲームソフト会社・ハル研究所の開発者出身で同社の再建に手腕を発揮したことが認められ2000年に任天堂に招聘された。今後、月二回の経営者会議で岩田氏は議長を務めるが、過去のしがらみが少ないだけに、つわものぞろいの代表取締役たちの調整役をうまくこなせるだろう。
一代で、任天堂を京都の一かるたメーカーから世界的な家庭用ゲームメーカーに飛躍させた山内氏。その引き際、後継に託したのは“和”の精神だった。
当時、次期後継者としては山内社長の親族の名前も上がっていましたし、知名度だけで言えば、『マリオの生みの親』として知られる宮本茂でも良かったはずです。いくら、HAL研究所は任天堂の親密企業であるとはいえ、『外様』であることには変わりありません。にも関わらず、京都のかるた屋から一代にして世界的ゲームメーカーに飛躍させた社長の後に就くなんてことは並大抵のことでは有りません。
社長就任後、Nintendo DSやWiiを大ヒットさせることに成功。一時期は、売上高1兆8000億円をたたき出し、2008年には営業利益で全上場企業中2位(個別)という歴史的快挙を果たします。(参考:営業利益企業ランキング一覧|株度)
残念ながら近年は低迷を続け、営業赤字に沈む結果となってしまいましたが、ここにきて、また再び『スプラトゥーン』の成功を受け、市場の注目が集まっています。
『スマブラ』の思い出
岩田さんの手がけた作品は、あまりにも多く、とてもひとつひとつ紹介しきることは出来ません。ただひとつ、『岩田聡の経営哲学』が最も濃くでた作品を上げるとすれば、『大乱闘スマッシュブラザーズ』ではなかったのかと思います。
『大乱闘スマッシュブラザーズ』は、当時社長であった岩田さんも一プログラマーとして参加していたそうです。
HAL研に入社以降ずっと『星のカービィ』シリーズのディレクターを担当していた桜井政博が、『星のカービィスーパーデラックス』完成後に初めて違うことをして良いと言われ、4本のオリジナル作品の企画書を書いた。その中の1本、1996年の10月頃に上げられた企画「4人同時対戦可能ダメージ排除型バトルロイヤル格闘」がスマブラの原型となるものであった。
1996年の11月頃には桜井政博、岩田聡、サウンドクリエイターの3人という少人数でテスト版の制作が開始された。桜井政博が仕様、デザイン、モデリング、モーションを担当し、岩田聡は平日は『カービィのエアライド』のプログラムをし、休日に桜井政博から渡られた指示書に従ってプログラムを書き上げるというほぼ二人三脚の体制だった。
ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ - 大乱闘スマッシュブラザーズ for Nintendo 3DS / Wii U まとめWIKI
『スマブラ』は、いろいろな面で異色のゲームでした。まずは、『落とすか弾き飛ばせば勝ち』というルールは、『殴って蹴ってライフゲージを減らして先に0にしたほうが勝ち』という大部分の『格闘ゲーム』の踏襲してきた基本コンセプトから大きく離れた内容でした。
何よりも特徴的なのは、シンプルな操作性の中で、『みんなで集まって、わいわい楽しく出来る』という点でした。これは、後に『岩田聡の経営哲学』として任天堂の経営方針として引き継がれて行きます。
岩田 ひとりで遊ぶより、多人数で遊んだほうが圧倒的に面白くて。
それは商品としてはある意味"いびつ"なのかもしれないけど、こういうのってなかったと思うし。
(中略)
遊んだ人全員が深さを感じるとは限らないし、多人数で遊ぶことに重点を置いているのでひとりで遊ぶときに弱いという部分も含めて、とても隙のある商品なんですよ。
また、登場キャラクターはみな任天堂のゲームで過去に登場したキャラクターばかり。いかに社内とはいえ、自分たちの育てたキャラクターたちが殴り合いをするゲームに違和感を覚える人は少なくなかったでしょう。社会人になった今だからこそ分かりますが、これを企画として通すのは、並大抵の苦労ではなかったのでしょう。
永田 これだけ有名なキャラを使うというのは覚悟がいったんじゃないですか。
桜井 そうですね。
岩田 キャラゲーに誤解されかねないし。
永田 あと、「マリオがピカチュウを殴るのは嫌だ」とか……。
最終的に、『スマブラ』は、広く多くの人に受け入れられ、国内にて197万本を売り上げる大ヒットになりました。『スマブラ』は、当時小学校高学年だった私もプレイしていました。『持ちキャラ』はピカチュウでした。それぞれ、みんなで集まって自分のキャラクターを研究し、『ああすればいい、こうすればいい』と話しながら、ゲームをして過ごす。そんな時代でした。
今でも同年代の人と会話をする時に、『みんなで集まってスマブラとかしたよね!』と話題に上がります。それだけ、大きな影響を与えた作品でした。
岩田聡の経営哲学
あるときから、任天堂の決算短信にこんな言葉が謳われるようになります。
当社グループは、「ゲーム人口の拡大」という基本戦略に基づき、年齢・性別・ゲーム経験の有無を問わず人々に 受け入れられる、魅力ある商品の提供に努めています。
さて、この言葉がいつから出てきたのか、決算短信を遡っていきました。
5.中長期的な会社の経営戦略
「ファミリーコンピュータ」が誕生して 20 年が経ち、ゲームに対して目の肥えた世界中のユーザ ーに受け入れられるソフトウェアの開発は、以前より格段に難しくなっています。 ソフトウェア主導でハード・ソフト一体のビジネスを展開している当社グループでは、前提知識 が無くても誰にでも分かりやすく楽しむことができ、ユーザーの好みにあわせて深みを追求できる、 『間口が広くて奥が深いゲーム』の実現を目指します。このため、これまで築き上げてきた開発力 や豊富なキャラクター資産の活用、他社とのコラボレーション等を含めた研究開発体制の強化、任 天堂ゲームセミナーなどを通じた新しい才能の発掘に力を入れ、かつてない斬新なプレイ体験を提 供するための全く新しい発想の新携帯ゲーム機「ニンテンドー・ディーエス(仮称)」に例示される ような、従来路線の単純な延長上には位置づけられない異質な商品を展開し、将来的な収益の拡大 を目指します。
平成16年3月期 http://www.nintendo.co.jp/ir/pdf/2005/050526j.pdf
岩田社長、2期目の決算短信からでした。
にもありましたが、任天堂はここに『前提知識が無くても誰にでも分かりやすく楽しめるゲーム』を提供し、全く新しい市場を開拓することを宣言します。
そして、ついにこの言葉が登場します。
5.中長期的な会社の経営戦略と対処すべき課題
ゲーム産業は、日本発で世界に通用する数少ないエンターテインメント分野として、成長を遂げてきました。しかし、ここ数年、従来の成功法則であった「ゲームの豪華さと複雑さを追求する路線」に限界が見え始め、従来路 線の延長では開発費の高騰が避けられず、市場の拡大も難しいという認識が業界全体に広がりつつあるなど、転機を迎えています。 このような状況下、当社グループは、かつてないゲーム体験を提供するために今後も挑戦を続けます。柔軟かつ前向きに活躍出来る人材の育成を重要な課題とし、強力なソフト開発陣を社内に持つ唯一のプラットフォーム ホルダーとしての強みを活かして、新しいゲーム機の姿を提案することにより、年齢・性別・ゲーム経験の有無を問 わず、誰もが楽しめる遊びで「ゲーム人口の拡大」を目指し、今後の業容の拡大及び収益の増大に努めます。
この言葉を読んで、ちょうど先日行った
で見てきたものを思い出し、思わず目頭が熱くなりました。いま結果を振り返ると、『ゲーム人口の拡大』は、任天堂一社の戦略に留まらず、その周囲の経済圏と、『クールジャパン戦略』という日本の政策の一部としても大きな影響を果たしてきました。
この戦略が、どうなったかは、皆様既に知るところだと思います。
任天堂のゲームは、この宣言より前から、広く愛されるゲームを志向してきたことは事実です。しかし、トップのこのメッセージに共鳴した人々によって、様々な可能性が広げられていきます。
Wiiフィット プラス (バランスWiiボードセット) (シロ)
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今まで体の中でも『指』くらいしか動かしてこなかったゲーム。それを、全身を使って体感するゲームを作り、『健康』に意識の高い層の需要を掘り起こしました。
東北大学未来科学技術共同研究センター 川島隆太教授監修 もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング
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体を使った後は、『脳』も使おうと、こちらは『頭をつかうこと』に意識の高い層の需要を掘り起こしました。
これもまた斬新なゲームでしたね。 身の回りの人のアバターをどんどん登録し、ただそれをひたすら眺めるだけ。これもまた、操作性の難しさからゲームに取っ付きづらかった層を集めることに成功しました。
勿論、その他の『普通のゲーム』も良く売れているんですよ。でも、こういった広い層に受け入れられるゲームを作り出し、ゲーム人口そのものを拡大するという戦略は、ただ単純に『売上を増やす』だけでなく、ゲームを使った交流人口を増やすという効果ももたらすことにつながりました。
岩田さんの残してくれたもの
7月13日、任天堂の株式相場は一時900円を近い上げを見せたあと、290円高で落ち着きました。
弔い相場という見方もあるのでしょう。だとすると、投資家も中々粋なことをしてくれますが、わたしはそれだけでは無いと思います。
まず、偉大な経営者を失った『任天堂の今後』について、心配な方も多いかと思います。ここ暫く営業赤字に沈んだ任天堂ですが、かつて『利息だけで社員が生活できる』と言われた財務基盤は、未だに健在で、多額の現預金を保有しています。
ちなみに、『利息だけで社員が生活できる』という話は、2008年の当時は本当の話でした。
なんと、『給料及び賞与』のほぼ倍の金額を受取利息で稼いでいます。ここ最近はそこまで稼いではいませんが、ここ10年で稼いだ資金で十分新しいことにチャレンジできる体制にあります。
大学のマーケティングの教科書を読むと、『いかに物を売るのか』ではなく『いかに需要に応えるのか』が重要である。というような話が書いてありました。しかし、これからの時代は違います。『いかに需要を創るのか』が重要な時代です。任天堂の戦略は、まさにそこを先取りしたものでした。
わたしが学生だった頃には、論文のテーマなどで任天堂の戦略について取り上げる学生は多くいました。この戦略は、いまや任天堂一社のものだけでなく、ゲームの中からその経営姿勢を見て育った多くの若者の中に共有されて言っています。
きっと、岩田さんの作ろうとして、残してくれたものは、面白いゲームでも、凄いゲームでも、楽しいゲームでもなく、『みんなで楽しめる幸せな時間』だったんじゃないかなあと思います。任天堂のゲームは、いつも友人と、家族と過ごす幸せな時間の中心にありました。ひとりでプレイしても楽しいけど、みんなでやるともっと楽しいよ!そんなゲームが多かった気がします。
ここ最近、任天堂はその経営方針を軌道修正するメッセージを発表しました。
娯楽の存在意義は、「世の中の人々を、商品やサービスを通じて笑顔にしていくこと」という信念のもと、これまでの10年に最も力を入れてきたのは、「年齢・性別・過去のゲーム経験を問わず、誰もが楽しめる商品を提案することでゲーム人口を拡大する」という基本戦略でした。一方で、時代の移り変わりと共に、任天堂を取り巻く環境も大きく変わった今、娯楽とは「人々のQOL~Quality of Life(生活の質)~を楽しく向上させるもの」と再定義することで、任天堂の事業領域をより広く考えることにしました。任天堂がこれからの10年で挑戦することは、「人々のQOLを楽しく向上させるプラットフォームビジネス」です。技術者として、経営者として、そして思想家としても、この人を失ったことは我が国の大きな損失だと思います。
ターゲットとする市場の幅は変わったとしても、岩田聡という稀有の経営者の残した『人々のQOLを楽しく向上させる』という思いが引き継がれる限り、また新しい何かで日本の新しい幸せの形を提供してくれることでしょう。
心からご冥福をお祈りします。