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ゆとりずむ

東京で働く意識低い系ITコンサル(見習)。金融、時事、節約、会計等々のネタを呟きます。

なぜ『降ります』のひとことが言えないのだろう?


今日は朝から風が強かった。

こんな日、通勤に利用している地下鉄東西線はいつも遅延する。普段から混雑率は200%に迫る勢いの電車であり、よくぞここまでジグソーパズルのごとく、人間を詰め込めるものだと感心してしまうほど混雑する電車である。

以前、何かのテレビ番組(ガイアの夜明けだったか?)で、養殖の魚を移動する際は、ストレスで鮮度が落ちないように余裕を持った水槽で運ぶという話がされていた。どうやら我々は魚以下の存在らしい。確実に我々の鮮度は落ちてるぞ、こんにゃろう。

通勤快速。略してツウカイというネーミングセンスが、大変不愉快である。 

7-Zipファイルなみに圧縮されて輸送される我々であるが、忘れちゃいけないのは、7-Zipであれば解凍すれば元の状態に復元されるが、我々は決して元の状態には戻らない。不可逆圧縮だ。みな何か大きなものを失いながら、日々痛勤を繰返している。

一刻も早くこの空間から抜け出したいのに、今日のような日は、いつも以上に電車は遅延し、車内の空気は一触即発の状態である。以前、風のため遅延し、急病人看護のため遅延し、ついでに乗客トラブルで遅延した日は、マジでそのまま家に帰ろうかと思ったくらいだ。

とはいえ、打ち合わせだのミーティングだのといったムラの儀式には、他の集落も参加していることも多く、そう簡単に休めるものでもない。そこで耐え難きを耐え、忍びがたきを忍びながらドナドナされているわけだが、その境遇はみな同じである。

電車の入り口近くに立っていたときは、ドアが開く度にホームへ降り、可能な限りスムーズで遅延無き列車の進行に陰ながら協力しているつもりである。だからこそ、文字を大にして言いたい。

 

降りるなら『降ります』くらい言えよ。

 

電車から一旦下車し、その駅で降りる人が全て降りきったなあと思い、乗り込んだ瞬間に、無言&仏頂面で人の間をかき分けて降りてくるひとは、二駅にひとりくらいのペースでいる。その都度、我らが通勤快速は余計なタイムロスを得ることになる。

ひらがな4文字。『降ります』のひと言があれば、多くの人がこの暑くて臭くて圧迫感のある空間に拘束される時間が短縮されるのだ。

目の前に高齢者がいようとも障害者がいようとも妊婦がいようとも、座席から動かざること山の如しとなっている者も、なんとかして壁沿い端っこの位置を死守しようとしているものも、それが本人にとっての重要なメリットになっていることから、そうやすやすと既得権益を手放そうとしないことはまだ分かる。

だが『降ります』と簡単な呪文を唱えることは、消費するMPも少ない割りには、自分も含め多くの人のHPを回復することが可能であり、本人にとってのメリットも大きいはずだ。

なのになぜ、そんな簡単なことをしようとしないのだろうか。口を動かすことに、それほどエネルギーを必要とするタイプの人種なのであろうか。たったひと言、言ってくれれば良いのだ。外交さえあれば、ドア周辺族の我らは、奥地の民と幸せな関係を築くことが出来る。部族を代表して言いたい。我らは仲間だ。

これは何も、電車なんて小規模な話に限ったことではない。

ひと言、声をあげて貰うだけで、スムーズに進むことは案外少なくない。全くもって理解に苦しむことに、その方法を知らないわけでも、手間が大きなわけでもないのに、自分から行動をしない人種というのは至る所に一定数存在する。

彼らはまた、何を考えながら生きているのだろうか。彼らとコミュニケーションを取る方法はあるのだろうか?

日々そんなモヤモヤした思いを抱えながら、きっと明日も、電車から降りてくる時には圧縮しすぎたJPEG画像のような顔になっているのだろう。

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