ゆとりずむ

東京で働く意識低い系ITコンサル(見習)。金融、時事、節約、会計等々のネタを呟きます。

おばあちゃんと50万円

50万円という金額をどう思うのか。

ひとによって感じ方は違うだろうけど、多くの人にとって、少なくはない金額だろう。だがうちの祖母にとって、それを失うことはランチを逃すことと同じような感覚のようだ。

孫の自分がいうのもおかしな話だが、なかなか良くできた年寄りだ。

彼女は昭和7年に生まれ、戦中戦後の動乱期の中で育った。本人曰く「勉強はよくできた」そうだが、当時では珍しい女学校を卒業し、親族が役員をしていた大阪十三の製薬会社に勤める。私の母が生まれたあとも、歯医者で事務の仕事などをこなし、今でいうところの「バリキャリ女子」に近い生き方をしてきたようだ。

書道は師範の免許を持ち、三味線や洋裁なども嗜んできた。多趣味であると同時に、「ひとと仲良くなる」能力に関しては、大阪のオバちゃんの中でもトップクラスだ。 

見ず知らずの人でも、おばあちゃんが誰かと仲良くなるのには5秒も必要ない。先日、一緒にケーキ屋に行ったときも、ふと目を離した瞬間「こちらのお店にはよくいらっしゃいます?あらよく来られる。どちらがオススメですか?」とた、ただ隣に座っていただけの客から一押し商品を聞き出していた。

知識も豊富で趣味も多く、常にニコニコ笑顔のおばあちゃんの周りには、いつも人の輪ができる。まあそのへんの話はこちらにも書いてみた。

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祖父の死後、おばあちゃんは、私の妹と一緒に我が家の近くに越してきたのは、おおよそ1年前のことになる。

引っ越しの準備や荷解きをしていると、あらゆるところから「へそくり」が出てきた。それも、数千円、数万円の単位ではない。輪っか付きで立てられる単位だ。

安全上問題があるし、同居する妹がネコババしたと疑われても可哀想だ。全部まとめて銀行口座に入れること!との厳命したところ、現時点でのわたしの金融資産総額を超える金額が発掘された。

はっきり言っておばあちゃんは金持ちだ。

若い頃には、住宅すごろくでひと財産を築いた。バブル崩壊直前の最高値をつけた位置で持ち家を売り抜き、手に入れたお金は、定期預金(当時は6%もあった)に預け入れる。預金の金利が伸びなくなるとみるや、当時人気のあったグロソブや外貨建年金保険などにシフトし、常に非常に高いリターンを得てきた。

ストック面だけでなく、フロー面でも裕福なほうだろう。

戦中は某国営放送、戦後は皇居の近所にある某新聞社につとめていた祖父の遺族年金に加え、自身の厚生年金もある。年金は2ヶ月で40万円、1ヶ月で20万円ほどになる。更に、民間年金にも加入しているため、手取り月収はへっぽこ会社員の私よりも多い。

しかしいくらお金がたくさんあっても、おばあちゃんは自由に使うことができない。

そろそろボケはじめてきたのでは?本人が不安を訴えたため、認知症外来につれていった。数秒見せられた絵に描かれたものを記憶するなど、簡単なクイズやパズルのような作業を何度か行い検査を行った。

ところどころつまる点はあったが、平均的には私や妻とほとんど変わらないどころか、設問によってはそれ以上の成績ではないかと思うくらいだった。

つまり頭のほうはまだしっかりとしている。しかし体は年齢には勝てない。足腰に相当ガタが来ている。妹が契約した家は、駅から徒歩5分くらいの距離だが、それでも弱った足腰では2倍、3倍の時間がかかる。

おばあちゃんが越してくると同時に、通販で車椅子を買った。

最近、大規模な施設には介助用車椅子が設置されている例も多いが、出かける際に持っていくと安心だ。近所のカーシェアリングのステーションで、車椅子が載せやすいワゴンタイプの軽自動車を借り、何度か小旅行を楽しんだ。また土日には、銚子丸という、ちょっとだけ贅沢な回転寿司にもよく車で出かけた。

私がネットを使って行き先を調べたり車を運転し、レンタカー代や食事代はおばあちゃんが負担する。ウィン・ウィンの関係だ。私は、妻の分も含めて全額負担して貰うのは悪いかな?と思っていたが、逆におばあちゃんは、こんなに良くして貰っても良いのだろうか?と考えていたようだ。

博識で物腰穏やかなおばあちゃんと一緒に過ごすのは何ら苦痛ではない。

政治や経済、国際情勢については不勉強な学生なんかよりもよっぽど事情に詳しい。学生時代、IFRS適用や工事進行基準の適用といったマニアックな会計ネタについても、あまりにも良く理解していたので驚いたくらいだ。本人いわく「新聞を読んでればこれくらいは分かる」とのことらしいけども。

ただそうした話も、出来る相手がいないのだ。同年代の友人は、すでに多くが鬼籍に入っている。いくら友達作りが得意なおばあちゃんであっても、こちらに越してきてから新しくできた知り合いは数少ないだろう。それに加え「ボケ老人と一緒にいると、余計ボケる」とボヤいていたが、おばあちゃんと同じ水準で語り合える人も、あまり多く無いのだろう。

「カネは向こうには持っていかれへんからな」とは常日頃から言ってはいるものの、使うのも大変なのだ。旅行に行くにせよ、常に車移動でできる範囲に限定される。ショッピングに連れて行っても、80を超えた年寄りの物欲が刺激されるようなものは中々無い。幸いまだ食欲は旺盛なので、自宅や近所で美味しいものを食べるのが最高の贅沢といった状況だ。

そんな中届いたのが、かつて自身で加入した年金保険の受け取りの通知だ。

その額は50万円。受け取りには住民票を取りに行く必要があるらしい。それを聞いて『50万円は欲しいけど、でも住民票を取りにいくのは難儀やなあ・・・』とモジモジしていた。

なんとか妻が祖母を車椅子に載せて市役所まで行き、無事に住民票を得ることはできた。しかし、もし近くに住んで居なかったら本当に諦めていたかもしれない。

でもお金の必要性を感じていないわけではない。今後、老化が進み、老人ホームに入る必要が生じたときのために残しておきたい。逆にそれまでは、可能な限り自宅で過ごしたい。本人はそう思っているよう。

まず間違いなく、その他一般の老人から比べると、おばあちゃんは経済的には恵まれた部類に入るだろう。他人から見れば、金をたんまり溜め込んだ年寄りと見なされる部類に入るだろう。なんだったら『あいつらからお金を取り上げろ』とまで言われたりするかもしれない。

だが何も、望んでこの状態にとどまっているわけでもないのだ。

昔から『金で解決できるならさっさとしよう』、『経験を得ることに出し惜しみはするな』、『迷う理由が「値段」なら買え、買う理由が「値段」ならやめておけ』といったことを繰返し言ってきた祖母でもこの状態なのだから、一般の老人ならば尚の事なのかもしれない。

世の中には『詐欺だとは分かっていたけど、親身になって電話してきてくれたのが嬉しくて』と、詐欺グループにお金を渡すようなひともいるそうな。

かれこれ10年は前から『3年以内に死ぬ』と豪語してきた祖母だが、お迎えはいつやってきてもおかしくない。わたしの一番の望みは、その日までに、おばあちゃんが悔いなくお金を使い切れることだ。別に残して欲しいなんで思っちゃいないさ。金なんて作ろうと思えば後からいくらでも方法はあるだろう。

だいたいそんなものを期待するのは間違っている。もう既に、お金なんかよりもずっとずっと大切なものを、30年ずーっと貰ってきた。だから今まで教えてきてもらった通り、最高のお金と時間の使い方をしようと思うんだ。

最近、耳の聞こえが良くないとよくぼやくので、補聴器を見に行った。なんの因果かわからないが、本人の望む紛失補償のついた機種が50万円ほどであった。まあ探せば、もっと良い条件もあるかもしれないけど、何より家の近所でいつでも調整してもらえるほうが、本人にとって価値があるだろう。

いまはただ、もっと健康になって、もっと長生きして、もっと幸せになってほしい。生きたお金の使い方が出来れば、本人だけでなく、わたしにとっても、世の中にとってもハッピーな結果につながる。そんなことを信じながら、明日、調整を終えた補聴器を受け取りにいきたいと思う。