ゆとりずむ

東京で働く意識低い系ITコンサル(見習)。金融、時事、節約、会計等々のネタを呟きます。

961人目のあなたへ

こんにちは、らくからちゃです。

ブログを書いていると、『よし、書こう!』と思ったものの、自分の中でもうまく整理がつかず、あれこれ考えているうちに『まあいっか』となることが、よくあります。特に時事の話は、他に上手くまとめてくれるひとが出てきたり、ぼけっとしているうちに『旬』を逃してしまい、途中まで書いてもそのままお蔵入り、なんてことも有ります。

でまあ、まだ個人的にも整理がついていないのですが、これだけは書いておきたいと思った話がございまして、今回キーボードを叩いている次第です。

 

近頃、朝鮮学校への補助金支給に関連した(と思われている)弁護士への懲戒請求と、それに対する訴訟の件です。ここにダラダラと経緯を書きつづるよりも、御本人のツイートや各メディアのまとめた分かりやすいのではないかと思います。

本人まとめ

弁護士ドットコム

各種メディア等

 

わたしも深くは知らなかったのですが、弁護士には、時の権力と対峙するという役割があるため、監督官庁ではなく自分たちの中で懲罰を決定する『弁護士自治』という考え方があるそうな。

懲戒請求についても、直接弁護士会が対応することになり、その結果の通知のための郵送代や事務費用もかかりますし、精神的な負担も大きい。

まあ間違いなく『クレーマー』と呼べる有象無象の個人からの一方的な攻撃に対して、被害を受けたひとは時間や費用の観点からも『泣き寝入り』するしかなかった。今回もそうなるものと誰もが信じていた中で、謝罪と10万円の支払いを条件に和解を求めるというまさかの反転攻勢。

みんなの大好きな『モヤモヤした想いが、ハッとさせられる方法で、スカッとした結末になる』展開ってわけですよ!

 

でもね、こちらで高島弁護士が言われているように、本当に法的な責任を問えるかどうかに関しては、しっかりと司法の場で判断をくださねばならないと思うんですよ。

togetter.com

実に皮肉なことですが、懲戒請求を行った彼らが否定し破壊しようとした『どんな立場の人間でも、法律によってその人の権利は保護されなければならない』という価値観を守りたければ、彼ら自身の権利も保障せねばならないわけです。その部分だけは、おそらく本件に関わった多くのひとの共通の想いでしょう。

もうひとり、池田弁護士の文章からも(長くなりますが)引用いたします。

 私が本当に憤っているのは、貴殿のした懲戒請求が、在日朝鮮人あるいはその子どもたちの権利の平等性を認めていないという点にあります。個人はその本質において平等だというこの社会の前提を壊していることに対する無自覚さです。
 貴殿が言われるとおり、私も含め、人は弱い存在です。だからこそ社会を作って、相互に補完し合いながら生計を立てています。それは、社会の構成員が本質において平等であるからこそ、お互いに助け合う基盤ができます。いまは元気でも、いずれ年老いて仕事ができなくなります。あるいは病気のために収入が無くなることもあるかもしれません。家を出たら交通事故に遭うかもしれない。私たちの生活は、ある意味では一寸先は闇なのです。そのようなリスクを軽減するために、社会を作り、あるいは保険という制度を作ってきたのです。この制度を成り立たせるのは、繰り返しになりますが、個人がその本質において平等だということです(保険制度で保険料が各人違うとしても、それはその人の性別や収入などの属性によって判断されているのであって、Aさんだから高くてBさんだから低いとか、日本人だから安くて在日朝鮮人だから高い、ということではないことはご理解いただけると思います。)。
 私は、貴殿が今回の懲戒請求をなさった根底には、「余命ブログ」に対する親和性つまり差別に対する無自覚性があると思わざるを得ないのです。

 そうであれば、貴殿がなすべきことは、私や弁護士会に対する謝罪ではなく、貴殿の心の中にある明確に存在する差別をする心と向き合うことであり、差別を楽しむこととの訣別です。謝罪すべきは、貴殿の懲戒請求によって在日朝鮮人の子として生まれたがために学ぶ権利を否定された子ども達にであり、それを自らの責任と追い詰めている彼らの親たちにです。

池田 賢太 - 件の懲戒請求は、私のところにも960名から来ているのですが、いまのところ、「謝罪文」を送ってきたのは3... | Facebook

 この文章は、謝罪文を送ってきた3名への返信という形を取っています。

しかし全ての現代を生きる日本人に向けて送られたメッセージとして、公開されたのではないでしょうか。

今回の騒動における本当の被害者は、直接懲戒請求を受けることになった弁護士たちというより、彼らを脅迫し、ともすれば弁護を受ける機会を失うことにもなりかねなかった在日朝鮮人です。

しかし本質的には『差別をする心』『差別を楽しむこと』を抑えきれないことが全ての根底にあるんですよね。

何もその対象は、在日朝鮮人に限らないわけです。病院にたむろする高齢者、匂いのきつい喫煙者、仕事の遅い上司、残業代のためにダラダラ働く同僚、ゴミ出しの日を守らない隣人、態度の大きな妊婦。まあなんだって、差別の対象になりうる。

『いやいや、自分のやっているのは合理的な批判だ』

もしも、そう思っているなら、なおのこと危ない。懲戒請求を行った彼らだって、全く同じ想いから行ったんですから。

別の観点ではありますが、こんな記事もありました。

nyaaat.hatenablog.com

障害年金を貰うのであれば、貰っていない自分よりも苦しい生き方をしていなければならない。趣味に費やす時間があるなら社会復帰のために努力しろ。それをしないのは罪であり、罰せられてしかるべきだ。法律が許したとしても、俺は絶対に許さない。

彼らもまた、本質的には今回の960人と変わらないのです。

現代日本人の多くが、色んなストレスを抱えながら生きています。

ずいぶん沢山のひとが、怒りをぶつける対象、それも安全圏から安心して叩ける相手を探しているように見受けられます。程度の差や立ち位置の違いこそあれ、今回たまたま違っただけで、961人目になっていた可能性は多くの人にあります。

 

全ての感情をコントロールすることは難しいでしょうけれど、まずは本件を『愚かなネトウヨが痛い目にあって、せいせいしたわ。』と捉えるのではなく、自分自身がそちら側へ回ってしまう何かを、心の中に抱えていないのかを見直すべきでしょう。

昔の人は言いました。

『罪を憎んで人を憎まず』『汝の敵を愛せよ』『善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや』

今一度、その意味を考え直してみても良いのではないでしょうか。

 

ではでは、今日はこのへんで。