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ゆとりずむ

東京で働く意識低い系ITコンサル(見習)。金融、時事、節約、会計等々のネタを呟きます。

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会社員(25歳)がココロコネクトについて感じたことを書いてみるよ

読書・漫画・感想


いやー、とうとうはじまりましたねココロコネクト。世に大きく出る前から見ていた作品が、こうやって大きく展開されていくのは、一読者としても感慨深いものがありますね。祝!アニメ化記念ということで、25歳の、微妙な歳のおっさんが受けた感想でも書いてみますね。
(※ネタバレ防止のために、全体的にぼんやりと書いておきます)

あらすじ

文研部に所属する五人、八重樫太一・永瀬伊織・稲葉姫子・桐山唯・青木義文は、奇妙な現象に直面していた。前触れなく起こった青木と唯の“人格入れ替わり”。それは次々と部員全員に襲いかかり、彼らを異常な日常に放り込む。戸惑いつつもどこかその状況を楽しむ太一たちだったが、心の連鎖は彼らの秘めた心の傷をも浮かび上がらせ…。平穏が崩れたその時、五人の関係は形を変える!第11回えんため大賞特別賞受賞作品、愛と青春の五角形コメディ。

だ、そうです。(amazonさんより引用)

  • SF学園モノ
  • 何やってもいい謎の部活
  • 女子3人、男子2人

という設定は、涼宮ハルヒシリーズを彷彿とさせますが、テーマはもっとシンプルで読みやすい、いわゆる「人格入れ替わり」ものです。
作者も作中で登場人物に語らせていますが、「人格入れ替わり」という設定は、SFの中でも非常にポピュラーなものです。ただ少し違うのは、ある特定の集団の中で、アットランダムに入れ替わるというところでしょうか。

おっさんが感心したところ

このシリーズの特徴なんですが、SFなのにSFらしい科学的トリック(タイムマシーンで過去に戻ってなんか色々してとか)ってほとんど出てこないんですよね。
じゃあ、何を一生懸命書いているのかとほとんどが登場人物の心理描写、それもこの時期特有の抱えている悩みの表現に当てられています。
ある登場人物は、「自分」とは一体何者で、「他人」とはどう違っていることによって、「自分」と認められているのかに悩み。その一方、別の登場人物は、「自分」が「他人」とは異なり、「他人」と同じようにできないことに悩んでいる。またある登場人物は、「自分」が何をしたいのか分からなくなっている。
他人には知られたくはなかった、または気づいてすらいなかった悩みが、「入れ替わり」を通してどんどんと出てくる。
その悩みは、僕自身も乗り越えてきたようで、乗り越え切れていない気がする、青臭くて甘酸っぱいものばかり。だから、ついつい最後まで読んでしまったのかもしれません。

夢と孤独とゆとりずむ

この作品の中で、特に感情移入しやすかったのは、もしかして僕がいわゆる「ゆとり世代」だからなのかもしれません。
ゆとり世代」という人種は、

  • 物心ついた頃から景気のいい話などほとんど聞いたことがない。
  • 山一證券ダイエー雪印などといった名だたる大企業が次々と倒産していくところをみせつけられ。
  • 就職氷河期で血反吐を吐いている人たちの背を見つつ。
  • その一方で、インターネットの発展を背景にした、若い成功者たちの姿を頭上に見て。
  • じゃあ、起業かいなと思っても、あらゆるスキルがあっという間に陳腐化していく瞬間を目撃し。
  • ネットを介し、日本中、世界中の自分なんかより圧倒的に「デキる」人たちとの違いをむざむざとつきつけられながら。
  • それでも「ナンバーワンよりオンリーワンだ。自分らしくしゃんと胸を張って生きろ」と言われ続け。

だいたいがそんな感じの人種なんです。
もうね。自分らしさなんて、わけわからんですよ。一生懸命探しても、なかなか見つからんとですよ、自分。生きる価値、見失いがちですよ。
存在を肯定されるためには、他人と違う自分を見つけなきゃならない。それで、みんなして孤独に「自分」を暗中模索させられているんです。
でね、なんかこれを読んでいて思うんですよ。「一人で抱えるだけ抱えても無駄でっせ」って。ありきたりな答えだけれど。
多くの人たちが、孤独に自分探しをしている中、彼ら彼女らは、お互いを理解し合い、問題を共有して乗り越えていく。その結果、7巻が終わった頃には、そこら辺の子供っぽい大人なんかよりも、よっぽど大人になっている。
他人のこと知ることで、初めて自分がわかる。特別でもなんでもない自分を、掛け替えの無い存在として認めてくれる人がいる。だからこそ、自分らしく生きていける。
彼ら彼女らは、「特別の状況」に置かれていたから、早くこのことに気づくことができた。最も、彼ら彼女らなら、「特別の状況」に置かれなかったとしても、見つけることはできたかもしれませんが。
ただ、「入れ替わり」という現象を通せば、誰にだってこのことがよく見える。それが、フィクションの醍醐味だと思うんですよね。

「小説」というもの

ここまで書いてですね、ふとある言葉を思い出しました。

嘘をつくのは小説家だけではありません。政治家も――失礼、大統領閣下――外交官も嘘をつきます。でも、小説家は他の人たちとは少し違っています。僕たちは嘘をついたことで追及を受けたりしません。賞賛されるのです。しかも、その嘘が大きくて立派であるほど、賞賛も大きくなります。

 僕たちの嘘と彼らの嘘との違いは、僕たちの嘘は真実を明るみに運び出すためのものだ、ということです。真実をそっくりそのままの形で把握するのは難しいことです。だから僕たちはそれをフィクションという形に変換するのです。でもまず手始めに、自分たち自身の中のどこに真実が潜んでいるかを明らかにしなければなりません。

卵と壁(三訂修正版) - Les vacances de Monsieur Keitaro

「人格入れ替わり」なんて非科学的な話は、世間一般には「嘘」と呼ばれます。でも確かに、「自分」とは何者なんだろうか?本当にみんなに必要とされる存在になれるんだろうか?という悩みを抱えざるを得ない人は多くいるわけです。
すごいトリックやどんでん返しがあるわけではないと思います。表現も、割りとド直球。だからよく言えばわかりやすい、悪く言えば薄っぺらいなんて評価されているのかもしれない。
でも分かりやすいからこそ、登場人物の言葉の一個一個が胸に刺さる。そのたびに、具体的な思い当たる節が出てくる。
例えば、7巻で、なぜ極端な行動に走ってしまったのかを見透かされるシーン。思わずあるある過ぎて、胸が痛くなる。

大人と子供の境目

25にもなって、中高生向けのラノベを読んで、「思い当たる節がある」と、かなり恥ずかしいことを書いているわけですが、ふと思うのです、僕はいつになったら大人になれるんですかね。
そもそも、子供の抱えている悩みと、大人の抱えている悩みにどの程度の差があるんですかね。と。
そりゃあ細かい話では、違いは多いと思いますけれど、根本的なところではどの程度の差があるものなんでしょうか?
まあ、そんな言い訳をしつつ、今日は寝かせて頂きます。

ではでは

ココロコネクト ヒトランダム (ファミ通文庫)

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